今週の一週一言 12月3日~12月9日 自分は正直なつもりであろうが、 実はそんな人間が、 一番不正直な人間であろう。 曽我量深 |
「あの人の言葉は信用できない。」
「あいつは失礼なやつやで。」
「あの人は、困ったらすぐ逃げる。」
こういう言葉が私の口から出るとき、「まあ、私は大丈夫だけどな」、「私は違うけどな」と思っている。どこかで「私は正しい」と思っている。
もし仮に、「私も信用されないようなことをしてしまうことがある」し、「失礼なやつだと思われているかもしれない」し、「またもや、踏ん張れずに逃げてしまった」などという思いが、自分に対してあるならば、露骨な他人に対する批難は、私の口からは出てこないのかもしれない。
でも出てくる。時に堂々と。時にこそっと。「ここだけの話やで~」という枕詞に続いて。
そういうときの自分は、意識としてどこまでも「善人」である。そして近くにいる「悪人」を許せずに批難しているのだ。
ある先生に教わった。「人間は自分が正しいと思ったときに、その人の持つ、最もいやらしい部分が顔を出す」と。
自らの悪人性にうなづくことなく「善人」を目指す生き方には、きっと無理が生じる。校歌に詠われる「よき世の人」に成ろうとする歩みとは異なるはずだ。都合の悪いことすら、切り捨てるのではなく受け入れる。上に立つのではなく共にある。そういう歩みであろう。
「悪人」という自覚がスタートになったとき、そのゴールにあるのは絶望でも失望でもなく希望であろう。
(い)