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ありがとうには理由がある ごめんなさいには理由がないときもある

今週の一週一言 3 月4日~4月7日 ありがとう には理由がある ごめんなさい には理由がないときもある 三角みづ紀 三角みづ紀  鹿児島県出身の詩人。 20 歳のときに膠原病を発病し、郷里である奄美大島での療養中に詩の投稿を始める。 【如是我聞】  家族というものは特別だけど、なんだか照れ臭い。社会人になったときぐらいから一気に距離を置くようになった。おそらく自分の中で「社会人たるもの、親に頼らず自分で全てするものだ」というような思い込みが強かったのかもしれない。「〜しようか?」と聞かれても、「別にいい」と短い返信をするだけだ。何かしてもらっても「ありがとう」と直接言うのは少し恥ずかしいから、いつも "Thank you." と返す。   先日、母親から病院で、胃に異変が見つかり再検査の必要があると言われたと連絡が来た。胃癌の可能性もある、と。ああ、親もいつまでも若くはないのだな。あまり意識してなかったが自分が歳を取る分、親だって当然歳を取る。もし、大病だったら、どうしよう。まだ親孝行なんて何もしてないのに。というか、そういうのはちょっと恥ずかしいのに。幸運にも再検査の結果何もなかった。   年末に実家に帰省した際、思い切って「今度一緒に旅行いかない?」と両親を誘ってみた。トントン拍子に話が進み、今度の春休みに行くことになった。 家族というものは特別だけど、なんだか照れ臭い。まだまだ改まって「ありがとう」というのはちょっと気恥ずかしいけど、一つ自分のしたかったことができて成長できたような気がする。 (英語科 崎中)                                                                                >>> トップページへ https://www.otani.ed.jp

執着から欲望が生じ、欲望から怒りが生じる

今週の一週一言 2 月12日~2月18日 執着から欲望が生じ、欲望から怒りが生じる 『バガヴァッド・ギーター』 バガヴァッド・ギーター  韻文詩からなるヒンドゥー教の聖典の一つ。「ギーター」とはサンスクリットで詩を意味し、バガヴァンの詩、すなわち「神の詩」と訳すことができる。 「執着」「欲望」「怒り」。この言葉のラインナップ、どうしてもネガティブな印象を受ける。 特に最後にたどりつく「怒り」は中でも一番良くないもの、という解釈だろうか。ヒンドゥー教の言葉だそうだが、日本にも「短気は損気」という戒めの言い回しがある。 確かに、私自身これまで無意識に「怒り」の感情を遠ざけてきた。「喜怒哀楽」のうち、「喜」「楽」はいいけど、「怒」「哀」はあからさまに人に見せてはいけないのではないか、特に「怒」は・・・なんとなく、そんなふうに感じていた。 しかし、最近よく耳にする「アンガーマネジメント」に関する本を読み、怒りに関するこれまでの認識を変えなければと考えるようになった。以下、本で紹介されていたアンガーマネジメント理解度チェックです。よかったら「 Yes ・ No 」で考えてみて下さい。   1、怒ることは悪いことだと思う        2、イライラしやすい人は、性格を改善する必要があると思う 3、怒りはいきなりバクハツすると思う  4、怒りはドカンと出してしまえば、ずっと残らないと思う 5、怒りは身近な人に限らず、誰に対しても強く出ると思う   いかがでしょうか。答えは全て「 NO 」です。 「怒り」は自然な感情で、誰にだってあるもの。それを無理に押さえ込むことで自分をかえって傷つけることがある。また「怒り」とは二次感情であり、「不安」「悲しみ」という一次感情がもとになって生まれることなどが本に書かれていた。 「怒りは忌むべき感情だ」私は無意識のうちにそんなふうに考えていたが、なぜなのだろう?家庭で、学校で、社会で、知らず知らずのうちにもしもそう思わされていたとしたら? 以前、ある母親の、怒りに満ちた SNS でのつぶやきが待機児童の問題を顕在化させたことがあった。「保育園落ちた 日本○○ !!! 」過激な一言だが、もとになっているのは、仕事ができないという悲

もう終わりだと思うのも、 さぁ始まりだと思うのも、どちらも自分である。

今週の一週一言 2 月5日~2月11日 もう終わりだと思うのも、 さぁ始まりだと思うのも、どちらも自分である。 フェデリコ・フェリーニ フェデリコ・フェリーニ (1920 ~ 1993)  イタリア生まれの映画監督。「映像の魔術師」の異名を持つ。小説の挿絵画家、新聞の寄稿、ラジオ・ドラマの脚本などさまざまな職業を経て、脚本家として映画界入りを果たした。 【如是我聞】 ゲームのキャラクターはコンティニューを選ぶことが出来る。何度やられても立ち向かうチャンスをくれる。だから様々な選択肢からいくつも試すことが出来る。実世界で覆すことが出来ない結果を目の当たりにしたとき、もちろんコンティニューは出来ない。受験で失敗した、試合で負けた、絶望を感じて「終わった」と思うとき、立ちはだかる言葉はゲームオーバーなのだろうか。 中学、高校、大学と競泳に打ち込んでいた私は、いいタイミングで怪我に悩まされていた。 中学では体が成長してタイムも伸びて、これからだという時に両足の太ももの肉離れを起こした。すぐには治らないため、満足な練習が出来ず、その年の結果は散々だった。大学は、ハイレベルな環境で体に鞭を打ちながら取り組んでいると、三年目に膝を痛めた。普段の生活にも影響が出る痛みで、満足に力を入れることが出来ず、最後の一年は思うようにいかなかった。怪我をした時はかなり落ち込んで、中学の時のショックは高校に入っても引きずった。絶望の淵に立たされている私をみて、周りはいつも笑顔で接してくれた。怪我をした時も、タイムが悪い時も、いつも決まって「とりあえず楽しんでこう」と言ってくれた。最初はすぐに受け入れることは出来ず、自暴自棄になっていたこともあった。それでも周りの人はいつも笑顔で、楽しめるように声をかけてくれた。かけてもらった言葉はどれも、絶望に至った道を振り返るものではなく、これからを明るく照らしてくれる言葉だった。言葉の意味が理解出来ると、私も次第に笑顔になり、絶望を受け入れることが出来た。今考えても、恵まれた環境に身を置くことができ、周りの人々に支えられて今の自分がいるのだな、と思う。本当にありがとう。  覆すことが出来ない現実を目の当たりにすると、目の前に浮かぶ文字はゲームオーバーなのかもしれない。もちろん

どうにもならないことなんて、 どうにでもなっていいこと

今週の一週一言 1 月29日~2月4日 どうにもならないことなんて 、 どうにでもなっていいこと 甲本 ヒロト 甲本 ヒロト( 19631 年~)  シンガーソングライター。 1985 年、 THE BLUE HEARTS を結成し、 1987 年に「リンダリンダ」でメジャーデビュー。 1995 年に解散した後、 1995 年に THE HIGH-LOWS 、 2006 年にザ・クロマニヨンズを結成。数多くのヒット曲を世に送り出す。 【如是我聞】 春が嫌いだ。生暖かい空気、新しい年度、新しい環境、新しい出会い。すべてがおぞましく感じる。  ふりかえれば、春に機嫌がよかったことなど一度もない。今までのどの入学式の写真も不機嫌な顔で写っている。  あと2、3ヵ月で春が来てしまう。また少しずつ春に向けて構えはじめている自分がいる。なぜ構えてしまうのか、少し心当たりがある。  自分の性格は前向きで楽観的であると思っている。大体はどうにかなるやろ~、なるようにしかならんって~と思っている。それが不思議なことに新年度を迎えてしまうと、完璧な人間になろうとする。さあ今年度はもう少しマシな人間になろう、心が穏やかで落ち着きがあって、おしゃべりも控えて周りから大人っぽいと思われるような人間になろう、と意気込むのである。誰しも新しい年を迎える時に抱負を抱くものだと思う。私の場合、もはや私のもともと持ち合わせている要素をすべてなくして、到底達成できそうもない理想の自分を作り上げてしまう。その理想像から少しでもはみ出てしまうと、どうにもならないことなのに心に決めた目標も達成できないダメな人間なんだと落ち込む。春だけは何でも完ぺきにこなさないといけないような気持ちになる。すこしでも最初で失敗してしまうとこの年のすべてが台無しになってしまうという強迫観念に駆られる。それだけにとどまらず、失敗して目標も達成できない自分は周りからいい評価を受けられないと思い込み始める。期待していた様な人材じゃなかったとがっかりさせるに違いないと負の感情のループに陥ってしまう。これが春の儀式である。  今年の春はまた慣れない環境に身を置くことになる。心を軽くするためにもどうにもならないことを気にするのはやめてみてもいいのかもし

心から何かを望むのは、 そんなに簡単なことじゃない。

今週の一週一言 1 月22日~1月28日 心から何かを望むのは、 そんなに簡単なことじゃない。 村上 春樹 村上 春樹( 1949 年~)  京都府出身。 1979 年に『風の歌を聴け』でデビューし、数多の作品を世に輩出している。日本国外でも人気であり、芥川賞の受賞が期待されている作家である。また、デビュー以来、翻訳活動も精力的に行っており、翻訳家としての業績も高い。 【如是我聞】 友達が新年の挨拶に東京からやってきてくれた。近所の神社に初詣にいく。  ていねいな字で書かれた絵馬がたくさん下がっている。 「戦争が終わりますように」 「しばらく前の世の中にすっかりもどりますように」  うんうん、そうだよね、とうなずきながら読んでゆく。 「かにさされませんように」  かわいい……。ひらがなだけなのがいいなあ。この時期でも刺されちゃうなんてねぇ。 「宿題がもっと出ますように」  えっ。 「ねこになれますように」  かわいい……のだろうか? それとも、人間ではいたくない理由が何かこの人にはあるのだろうか?  最後に、一番の達筆で書かれた、 「弟がましな人間になれますように」  という絵馬を読みつつ、それまで少しずつしていた後じさりを大きくまた一歩おこない、音をたてないよう、そそくさと去る。 家に帰ってからは、絵馬のことは考えないようにして過ごす。絵馬に願いを託すということ。願うこと。うーん。 意識しないようにしてもついつい心から自分が望むことについて考えてしまう。 それで、考えこんでいると、こんなに長い時間も、お金も、手間もいろんなものをかけて、子どもを育てて、たったひとつほんとうに学んだことは、「心から譲ることができる」ということだけだということに行き着く。 おいおい、本当なの?それ以外に何か成長してないの?と聞かれたら、とても情けないけれどそうだと言ってしまう自分がいる。 たとえば、ユニバーサルスタジオに行き、さぁ、いよいよ自分が乗る番だとする。そんなドキドキ最高潮なときに、5歳くらいの子が来て、「おばちゃん、先に乗らせて」と言われたとする。 もちろん若いときの私も譲ってあげただろう。でも、ちょっとだけ頭の中で考えると思うのだ

点が将来結びつくと信じなくてはいけない。 信じるものを持たなくてはいけないんだ。

今週の一週一言 1 月15日~1月21日 点が将来結びつくと信じなくてはいけない。 信じるものを持たなくてはいけないんだ。 Steve Jobs Steve Jobs ( 1955 ~ 2011 )  サンフランシスコ生まれ。 Apple の創業者・元 CEO 。 NeXT の創業者・元 CEO 。 PIXAR の元 CEO 。スティーブウォズニアックとともに Apple 社を創業。 Macintosh の開発を主導し GUI やマウスをもつパーソナルコンピュータという概念を普及。 iPod 、 iPhone 、 iPad を発表し音楽、通信業界など世界中に大きな変革をもたらす。 PIXAR 社では世界初の長編 CG アニメーションである Toy Story を制作。 【如是我聞】 随分前の授業でのこと。「今習っている数学は、将来何の役に立ちますか?」と質問をする生徒がいた。その生徒は、役に立たないのなら勉強する意味ありますか?という意味で聞いている様子である。たまに聞かれることがあるその問いに、私はいつも敢えてハッキリとこう答えることにしている。 「特に何の役にも立たないよ」と。 予想とは真逆の答えに、その生徒は呆気に取られ言葉を失う。 そもそも学校で、役に立つことだけを学ぶわけではないのだ。役に立つこと以外は取り組む意味がないのなら、一生懸命やっているクラブ活動もほとんどやる意味がないことになりはしないか。実際、シュートを上手に決められることやボールを上手く打ち返すことなど、それ自体が将来特に何かの役に立つわけではない。しかし生徒たちは、今の自分の成長にとってとても大事なことだということについては根拠のない強い確信をもって取り組んでいるはずだ。芸術などもしかり。つまり、体験したことや学んだことから何を掴み取り生かすのかはすべて学んだ本人にかかっているわけで、実は本人の問題なのだ。 だから、要約すると「知らんがな」というのも正解の返答になるのではないかと思う。 ただ、生徒たちに「知らんがな」と言うわけにもいかない(説明から逃げていると思われる)ので、少し話をし、そのことに気づいてもらうと生徒たちは納得をする。 知らんけど。 何かを本当に「学ぶ」とき、役に立つという価値観の優先順位は、大抵の場合にお

人生から返ってくるのは、あなたの投げた球

今週の一週一言 11 月27日~12月3日 人生から返ってくるのは、あなたの投げた球 斉藤茂太 斉藤茂太( 1916 ~ 2006 )  日本の精神科医・随筆家。斎藤茂吉の長男として東京に生まれる。「モタ」の愛称で親しまれる。 【如是我聞】   11 月 5 日 阪神タイガースは 38 年ぶりの日本一を勝ち取った。多くの選手たちがチームの勝利に貢献したがその中で私は横田慎太郎選手のことが忘れられない。   7 月 18 日 元阪神タイガースの横田慎太郎選手が 28 歳という若さで亡くなった。  現役時代真面目にひたむきに練習する姿がファンに愛され将来活躍が期待されていたがプロ 4 年目で脳腫瘍と診断され,その後、後遺症の影響で現役引退を余儀なくされた。プロ最後の引退試合で 1096 日ぶりに試合に出場した。その当時ボールを見ることも難しい横田のもとにボールがきたが,そのボールを捕球して,「本塁へのノーバウンド送球で走者を捕殺する」というファインプレーで現役生活を終えた。私はこのファンプレーは横田の今までの努力など積み重ねてきたものがこのプレーを呼んだものだと感動した。 現役引退後,講演活動などを行っていたが,腫瘍が再発し,今年帰らぬ人となった。 9 月 15 日リーグ優勝が決まる直前には現役当時の登場曲「栄光の架橋」が流れ,ファンとチームが一つになるきっかけになった。そして優勝を分かち合うときには,横田のユニフォームが常に共にあった。そして彼のユニフォームは胴上げの際に共に宙を舞った。綺麗な話に見えるが,そのストーリーは横田選手が現役の時に人一倍努力して練習をしてことなど自分自身で積み重ねてきたものが返ってきた結果ではないか。そのストーリーを彼は直接見ることができないが心の中には届いているように私は感じた。  「人生から返ってくるのは、あなたの投げた球」そのことを常に心に刻みながら生活していくことが大切だと思う。実際に返ってくるかどうかはわからない。しかし,自分自身の行動は必ず周りに見られている。 私は,まだまだ人として力不足である。これからも一つ一つのことを丁寧に行動していくことを日々心掛け,人として成長していきたい。 (数学科 坂根) >>>

わがこころのよくて、ころさぬにはあらず

今週の一週一言 10 月23日~10月29日   わがこころのよくて、ころさぬにはあらず 『歎異抄』 『歎異抄』 親鸞の教えを弟子・唯円がまとめたとされる仏教書。鎌倉後期に成立。室町中期に蓮如によって見出され、明治期、清澤満之らによって宗派を超えた宗教哲学の書として再評価される。なお 作成にあたり、乾文雄先生、山田友能先生よりご教示いただきました。 【如是我聞】 あるとき、親鸞は弟子の唯円に、私を信じるかと尋ねた。彼が肯定すると、今度は言いつけに逆らわないかと訊く。常に従うと答えると師は告げた。千人殺してこい、そうすれば極楽浄土へ行ける、と。仰せではありますが一人も殺せません、そう訴える弟子に、親鸞は、これでわかっただろう、と言う。自らの思いのままにできるのなら、千人でも殺せるはずだ。しかしそういう “ 業縁 ” がないときには一人さえ殺せない。これは自分のこころが良くて殺さないのではない。逆にやりたくないと思 っていても、百人千人を殺してしまうことだってあるのだ ── 。「絶対他力」、すなわち “ 何事も自分 の思い通りにはできない ” という教えとして知られる一節である。 有名すぎるため見過ごされがちだが、よく考えるとこの話、かなり絶妙なバランスの上に成り立っている。というのは、もし唯円が師の指示に呆れて従う気をなくしたり、逆に刀を持って飛びだして いったりしたら、彼は「思い通り」に行動したことになってしまうからだ。弟子をあやまたず「他力」 という “ 気づき ” へと導くには 、「師の指示に従いたいが、そうできない」という状況にならねばなら ない。つまり親鸞はこのとき、唯円が自分に心服しながらも命令だけは断ってくれること ── 言い換 えれば “ 業縁 ” が整っていないこと ── に賭けた、ということになる。 当たり前だ、殺人などそうそうできるわけがない、そう思われるだろうか。しかし歴史をひもとけば、信仰ほど人に思考を放棄させ、殺したり、殺さなかったりを命じてくるものもない。多くの指導者が信徒に無条件で自分(あるいはその背後にいる神)に従うよう求める中、弟子に「できない」と いう台詞を期待する親鸞の方が、むしろ例外的なのだ 。「親鸞には真の意味での弟子はおらず、すべて の人はともに生き、考え、悩む仲間だった」とはしば

人生は学校である。 そこでは幸福より不幸のほうが 良い教師である。

今週の一週一言 10月16日~ 10月22日 人生は学校である。 そこでは幸福より不幸のほうが 良い教師である。 ウラディミル・フリーチェ ウラディミル・フリーチェ (1870 ~ 1929) ソ連の文芸学者。「文学とマルクス主義」誌の編集長などを務めた。ロシア革命前の著書『欧州文 学発達史』は邦訳もされ、 1930 年代までソ連の教科書であった。 【如是我聞】 連日ニュース番組で報道されているロシアとウクライナの戦争。最近はイスラエルとパレスチナの武力衝突についてもニュースになっている。日本で平和な生活を送っていると、今現在、この瞬間に別の場所で戦争が続いており、多くの人が亡くなっている実感がわかない。そんな中、 私はニュースの報道等で「戦争」という言葉を聞くと、 93 歳になる大叔母のことが時々頭をよぎ る。   広島に原爆が落ちた日、大伯母は山口県岩国の軍事工場で飛行機にネジを入れ、組み立てる作業をしていた。当時 15 歳。原爆投下時の轟音、地面の揺れ、その直後の激しい土煙。爆弾が落ちたという知らせを受け、混乱の中、何とか自分の家に戻ったらしい。大伯母は現在でも戦争時の体験を鮮明に記憶しており、原爆投下以外にも、空襲で怖い思いをしたこと、空襲の後に死体を飛び越えながら空腹に耐えつつ歩いたこと、竹槍を持って「ヤー!」と叫びながら訓練をしていたことなどを、これまで何度もよく話してくれた。 こういった話をしながら、大叔母は、「何やっとるんかねって思っとったんじゃけどねぇ。」「こ んとなネジ入れた飛行機や竹槍突いて、勝てるんかねって思ってたねぇ・・・まあ、絶対に口に 出して言えんのじゃけど。」「あんなに人が死ぬんじゃもん、もう戦争はいかんよねぇ。」と思いを 挟む。飄々とした口ぶりと笑いを交えながら語る口調だが、実際に体験した人からの実話であ   る。説得力があり、聞くたびにじわじわと過酷さが伝わり、辛くなる。幼い頃、大伯母が話す 「学校なんてなかったからねぇ。私ら勉強してないんよ。」にピンとこなかった私も、少しずつ 「学校がない」ことの意味がわかっていった。 コロナ禍の 3 年を経て、大叔母は京都まで来ることはほとんどできなくなってしまった。しか し 78 年前の辛い過去の体験は、直接見聞きしたことだか

ルールは破ってもマナーは守れよ

一週一言 10 月 9 日~ 10 月 15 日                                   ルールは破ってもマナーは守れよ               甲本 ヒロト    甲本 ヒロト (1963-)  岡山県出身の日本のミュージシャン。 1985 年、真島昌利らと THE BLUE HEARTS を結成。 1987 年に「リンダリンダ」でメジャーデビュー。 【如是我聞】 私のなかで甲本ヒロトといえば、 THE BLUE HEARTS というパンクロック・バンドのボーカルという印象が強いです)。 1980 年代後半から 1990 年代前半にかけて活動したため、 1992 年生まれの私はリアルタイムで活躍を見たわけではないが、彼らの曲からはパワーをもらい、「 TRAIN-TRAIN 」、「リンダリンダ」「情熱の薔薇」など聴くようになりました。   「ルールは破ってもマナーは守れよ」 というこの発言について甲本ヒロト自身もかつてラジオで、「ルールを破れって言っているんじゃないよ?(笑)。まあ、仕方なく破ることもあるけども。」と言っています。 正直これもよくわからないので、まず「ルール」と「マナー」の意味を調べることにしました。そしたら、以下の内容にたどり着きました。   「ルール」:守らなければならない 規則・決まりごと 「マナー」:「行儀、作法」(広辞苑第7版)とあり、個人の自発的意思に基づく心掛けや振舞いを指すものであり、法令で規制された行為規範とは異なるものと考えられる。   私の解釈としては、「ルール」は既に決まっている守るべきもので、「マナー」とは罰則はないが自分から意識して守るべきものだということです。さらに、時代や状況を鑑みてルールが変更されることはあるが、マナーが変わることはないのでは?と思いました。  私はバスケットボールが好きで、現在でも社会人チームでプレーしています。バスケットボールでも、私が高校生の時と比べると、何ヵ所もルールが変わっています。しかし、試合開始時に「お願いします」と会釈したり、試合終了時に相手ベンチに行き、「ありがとうございました」と挨拶するといったマナーは変わっていません。マナーを守ることで、自分たち