スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

涙とともにパンを食べた経験のないものに 人生の味はわからない

今週の一週一言 2月1日~2月7日 涙とともにパンを食べた経験のないものに 人生の味はわからない ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ Johann Wolfgang von Goethe ( 1749 ~ 1832 )・・・ ドイツの詩人・作家。「」の旗手となる一方、ヴァイマル公国の宰相としても活躍した。代表作に『ファウスト』『若きウェルテルの悩み』などがある。 【如是我聞】  ゲーテは韻を踏んだ美しい文体で次のように書いている。 Wer nie sein Brot mit Tränen aß ,涙とともにパンを食べたことがない者、 Wer nie die kummervollen Nächte あるいは 苦しみに満ちた夜に Auf seinem Bette weinend saß ,ベッドの上で泣きながら佇んでいたことのない者、 Der kennt euch nicht , ihr himmlischen Mächte 彼らはあなたに気付かない 天上の力よ 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 若きヴィルヘルムは、屋根裏の部屋で、竪琴弾きの老人と遭遇する。この老人がうたうのが「涙とともにパンを……」の詩である。ゲーテの描く主人公ヴィルヘルムは、当時のドイツ人たちに「人間形成の典型 として読まれたということを大学の授業できいたことがある ( ぼくは教育学部の学生だった ) 。しかし、ここに登場しているのは、人生に苦悩する憐れな老人の姿である。これはどういうことだろう。人間は若かりし日には葛藤を経験するかもしれないが、それすら乗り越え、たくましく「成長」していくのではないか。あるいは、いずれは時間の魔法によって痛みは鎮められ、晩年は心穏やかに暮らすのではないのか。当のゲーテですら、若きヴィルヘルムについて次のように記してい る。「……しかしながら、あらゆる誤った歩みもやがてはこの上なく尊い善に到達しうるものである」。だけど、ぼくはそんな「この上なく尊い善」へと向かうヴィルヘルムより、この 老人に興味をおぼえる。勿論、きっと人生というのはいろいろ起こるものだから、心弾む瞬間や、無上の歓びがあふれだすような瞬間もあるだろう ( そう願いたい ) 。それでも……いつかはパンを涙とともに食べ、ベッドの

~ どんな傷でも 治るときには徐々に治ったのでは ありませんか ~

今週の一週一言               1 月18日~1月24日 ~ どんな傷でも 治るときには徐々に治ったのでは ありませんか ~ シェイクスピア( 1564 ~ 1616 ) … 英国の劇作家、詩人。英国ルネサンス演劇を代表する人物。 市会議員を務めた父と、上流階級出身の母を持ち、きわめて裕福な家庭環境に育つ。卓越した人間観察眼からなる心理描写によって、優れた英文学作品を残している。主な作品は『ロミオとジュリエット』、『マクベス』、『オセロ』、『リア王』、『ヴェニスの商人』、『真夏の夜の夢』など。 【如是我聞】   今週の一言は、シェイクスピア著『リア王』の脚本で登場するものである。恐縮ながら今回も、台詞の出てくる場面に基づかずに、思うところを勝手気ままに執筆させて頂きたい。 「どんな傷でも」の『傷』は、肉体的な負傷ではなく精神的なダメージを指す比喩だが、この問いかけが傷つく側と傷つける側のいずれに対してなされるかで、意図解釈が分かれる。苦境に立つ人に問いかけるなら、「ケガして出来た傷は徐々に癒えたでしょう? 同じように、抱えている問題も心の痛みも、ゆっくりではあれ、いずれは消えるものだよ。だから焦らないで気長に前進しよう。」と慰め、勇気づけるものになる。対して、他人を傷つけようとする人に問いかけるなら、「あなたにも傷ついた経験はあるでしょう。なかなか癒えないあの苦しみを思い出して。それを他人に与えようというのですか?」と諭すためのものになる。ただ、どちらの意味でそう言われても、ストレートにそう諭されると、渦中にいる人の大半は「放っておいてくれ!」と返してしまうことだろう。直接的な諭しは、傷ついた人を「私は今、こんなにも辛くて苦しい。それを、いずれは・・・だなんて。いったい後どのくらい苦しめばいいというのか!」と終わりの見えない苦しみに追い詰めもする。傷つける側の人の感情を「実情を何も知らない奴に、なぜエラそうに諭されなきゃならないんだ!それもこれも、あいつのせいだ!」と刺激し、憤怒や憎悪を増幅させることもある。そうなることを避け、ひと呼吸おいて意味を拾ってもらえるように、わざとこうして曖昧に問いかけているのである。 傷つく側も傷つける側も、冷静にならなければ事態の好転も進展も望めな

自分以外のものを頼るほどはかないものはない。 しかし、その自分ほどあてにならないものはない。

今週の一週一言                                   12月14日~12月23日 自分以外のものを頼るほどはかないものはない。 しかし、その自分ほどあてにならないものはない。 夏目漱石・・・慶応3年、江戸牛込馬場下横町(現・東京都新宿区)生ま。本名金之助。東大文学部英文科卒業。愛媛、熊本に英語教師として赴任後、イギリスへ留学。帰国後、一高・東大講師。 38 歳の時に『吾輩は猫である』を発表し作家として活動開始。『それから』『こころ』など著書多数。 【如是我聞】 漱石は何が言いたいのだろう…。 自分以外が頼りなくて、その自分もあてにならないのだったらどうしろというのだ。 つまり…これは「格言」ではないのだ。出典がわからなかったので前後の文脈がどういうものであったのかがわからないものの、このことばは漱石自身の迷いであり、とまどいなのだ。 私のイメージする漱石はいつも顔をしかめている。明治という時代に生まれた「近代国家」と「個人」というものを一身に背負って、しかも胃痛に苦しめられ、いつもイライラしている。彼はまるで日本と日本の近代を代表して悩んでいるかのようだ。 それに比べれば私の悩みなどは「はかない」ものだと言わざるをえない。漱石同様「自分ほどあてにならないものはない」と思ってはいる。もちろん、私の「自分ほど」は漱石と比べる価値もないほど「あてにならない」ものであることは言うまでもないが、それでも私にも悩みはある(と言うと、妻や息子は笑うのだ。あまりにもストレスの少ないストレスチェックの結果を見せたら大笑いされた…)。 大きなほうでは、世界平和がいつまでも実現しないことに悩んでいる。テロと報復の連鎖を断ち切れないことに絶望を感じている。国や民族同士の対立、異教徒同士の対立は、お互いの実体を見定めようともしないで相手をまるごと「悪」と決めつけ、自らの正義をふりかざす。対立の犠牲になるのはエライ人たちではなく、いつも女性や子ども、貧しい人たちである。 中くらいの悩みは、そんなに大きいとはいえないこの職場。何年も同じ部屋で仕事をしていながら意思の疎通は難しいなぁということ。人はなかなか変わらない。自分からアクションをおこせず、あきらめのため息をつく。変わらない

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし

今週の一週一言                                   11月24日~11月29日  如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし        師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし 宗祖親鸞 ( 1173~1263 ) ・・・浄土真宗の宗祖。法然を師と仰ぎ、その教えを継承し、顕揚していくことに力を注いだ。著作は『教行信証』、『三帖和讃』など多数。 【如是我聞】   ♪にょ~ら~い だ~い~ひ~の~ お~んど~く~は~♪と、私の 3 人の子どもたちが彼らのおじいちゃんの法事のときにお坊さんが読み上げるのに合わせて、空で声に出しているのを聞いて驚きました。  私はこの恩徳讃を子守歌にして子どもたちを寝かせてきました。一番上の子が生まれたときに、宗教科の I 先生が「恩徳讃は子守歌にええよ~」と教えてくださったので実践したところ効き目抜群で、それ以来、子どもたちを寝かすときは恩徳讃を子守歌にしました ( ちなみに、長男と次女は恩徳讃、長女は四弘誓願が一番よく寝ました)。子どもたちも気に入っていたのか、夜、添い寝をしていると、「おとうしゃ~ん、♪にょ~らいだ~いひ♪歌って」とよくせがまれました。それがあってか私の子どもは意味もわからずに恩徳讃を歌うことができます。  恩徳讃の意味?私もよくわかりません。私は大谷高校出身で礼拝でも歌い、宗教の授業でも意味もならったはずなのに。大谷には宗教の先生がいますので、私ごときが意味を説明するまでもないと思いますが、恩徳讃の、「恩徳」「報ず」「謝す」の言葉を聞くたびに頭をよぎる言葉があります。それは「ノブレスオブリージュ」です。  「ノブレスオブリージュ」とは「高い地位や身分に伴う義務」です。かつてのヨーロッパの貴族階級は、庶民からの税などで生活をしていたので、その分、戦争や事件が起こった時は庶民よりも先に貴族が行動を起こす義務を伴うのだと、ひろさちや氏がおっしゃっていました。  貴族でなくても我々も同じだと思います。何かを施してもらったら、そのことを何かで恩返しをする義務を伴うのではないか。私たちは命を授けてもらいました。ならばそれに伴う義務があるのではないか。目の前で起こっていることが不幸につながることが明白ならば、それを看過するのでは

自由とは「自分の持って生まれた才能や性質を十分に発揮する」 ということである 

今週の一週一言                                   自由とは 「自分の持って生まれた才能や性質を十分に発揮する」 ということである                      西田幾多郎(187 0 ~19 4 5)  ・・・ 日本を代表する哲学者。京都大学教授、名誉教授。 主著『善の研究』。 【如是我聞】   若い頃、特に中高校生の頃 (1960 年代後半から 1970 年代の初めの頃 ) に、「自由」という言葉に憧れていた。当時よく耳にしていた洋楽の世界には Free というバンドがあったし、当時の洋楽の歌詞の中で” free ”とか” freedom ” あるいは” liberty ”という語をよく耳にした。私の中高生の頃はそういう時代であった。当時の中高生には、今よりもずっと多くの制約がかけられていたように思う。たとえば、そういう音楽を聞いていたり、 electric guitar ( 場合によっては acoustic guitar でも ) を弾いていたりするだけで不良と呼ばれたりしたものだ。田舎の中学生の頭髪は丸刈りと決められていたし、夜遅くに外出することも、特定の異性と仲良くすることも簡単には許されない雰囲気があり、大人たちによって束縛されている感じが常にあったように思う。そんな時代の若者にとって「自由」という言葉は、ありきたりな表現を用いて言えば、鳥が大空を羽ばたいているようなイメージを伴って本当に魅力的なことばとして存在していた。  「自由」という言葉は相対的な言葉である。束縛や制約のない状態のことを指す言葉であるからだ。自由という言葉を意識するときはいつも何らかの束縛や制約を感じているということでもあった。若い頃の私は、自分の思い通りにならないのは、「制約が多く自由がないからだ」と周囲のせいにしていたように思う。しかし、自由とは文字通り「自分に由る」ということであり、すべての行動が自分自身に起因するということだ。自由になる、あるいは自由を感じるのは、結局のところは自分次第ということなのだ。そこにもっと早く気付くことができていれば、自己を見つめ、「自分の持って生まれた才能や性質を十分に発揮する」ことが可能になっていたのかもしれない。 free  と

自分と向き合うにはひとりになるんじゃないわ  自分を知らない人たちと関わりあうのよ  見えてくるわよ、本当の自分が

今週の一週一言                                   11月2日~11月8日 自分と向き合うにはひとりになるんじゃないわ  自分を知らない人たちと関わりあうのよ                 見えてくるわよ、本当の自分が ちびのミイ・・・ちびのミイ、またはリトルミイはトーベ・ヤンソンによるムーミンシリーズのキャラクターの一人である。ミイは「ムーミンパパの思い出」という 4 作目で初めて登場した。 【如是我聞】 この言葉は、自己分析に役立つと思う。確かに自分を見つめ直すとか、自分自身について考える時、一人になってじっくり考える人は多いだろうし、実際私もその方が多い。しかし、ミイの言うように色んな人と関わり合うと、自分の知らなかった自分に出会えるかもしれない。 少し自分自身の話をしたいと思う。大学を卒業し、四年が経った。中学時代から、将来の夢が教員であった私は、遠回りをしながらも無事教壇に立つことができた。そして、毎日充実した日々を過ごしているが、最近考えることがある。毎日家と学校の往復。もちろん年々出会う生徒は変わるが、違う環境で生活している人との出会いは激減してしまった。学校現場は、世間一般と比べると閉鎖的な環境であり、人との関わり合いは、どうしても限りがあると思う。その中でどのように自分が動き、様々な人と出会い、自分の価値観や今持っている考え方の幅を広げることができるのか。 自分自身の小さな殻に閉じこもり、自分の歩んできた人生だけで、子供たちと関わるのは、とてもちっぽけだと感じる。だが、自分に数多くの引き出しがあれば、子供たちに様々な選択肢を与えることができるかもしれない。 そのためにも色んな人と出会い、色んな生き方を見て、自分はどうありたいのか問い直したい。もっと人との関わりを大切にしていきたい。人との出会いは何にも代えられない財産になるはずだから。実際は日々の仕事や、生活でいつの間にか毎日が過ぎ去っているのだが・・・。 それでも、 自分の人生に大きな影響を与える人により多く出会いたいと願っている。 (英語科 中川智仁) トップページへ  http://www.otani.ed.jp

計画のない目標は ただの願い事にすぎない

今週の一週一言                                    10 月26日~11月1日   計画のない目標は   ただの願い事にすぎない サン=テグジュペリ・・・・1900年~1944年。フランスの作家、操縦士。                代表作『夜間飛行』、『星の王子様』など多数。 【如是我聞】   一見すると、この言葉は、『星の王子様』を書いたサン=テグジュペリの言葉らしくない。どこか大人の賢しらな処世術と打算を感じさせる。目標に向けて綿密な計画を立て、それを一つずつ実行していく姿勢がなければ、どんな立派な目標も、「ただの願い事」にすぎず、決して実現することはないと。「お説ごもっとも。言い返す言葉もありません」と少しげんなりしてしまう。私自身も教師としてそんな言葉を生徒たちに言ってきたようにも思うが、あまり好きになれない言葉だ。  しかし、レーダーもない時代、無蓋の飛行機に乗り、前をよく見るために風防ガラスから身を乗り出して郵便飛行機を操縦していたサン=テグジュペリにとっては、先輩パイロットの経験を聞き、目印を地図に書き込み、徹底した飛行計画を立てて目標飛行に臨むことは、無事に郵便物を輸送し、自らの命を守るために欠くことのできない重大事だったのだろう。その上、そんな用意周到な計画の上に実現した目標には、深い感動と驚嘆が伴っていたことは、自らのパイロット経験をもとに書いた『人間の大地』を読むとよく分かる。夜間飛行中に垣間見られる奇跡のような光景が彼の心に刻まれる。「闇の大海原に瞬く光の一つ一つが、今、そこに人間の意識という名の奇跡が存在していることを教えていた」と。そして、「絆を取り戻そうとしなければならない。平原のそこここに燃えている灯のいくつかと、心を通わせようとしなければならない」という彼の「願い」が語られる。サン=テグジュペリは、決して単純に「願い事」を否定しているのではない。計画がなければ大事な「願い事」も実現することなく終わってしまうと言いたいのだろう。  しかし、私は、このごろ、それでもいいと思うようになった。60歳を過ぎたせいか、「願い事」は願い事のままでいいのではないかと。大切な願い事を持ち続け、心の中で温め続けていることが自分にとって、また自分を取

おだやかな人生なんてあるわけがないですよ

今週の一週一言 10月19日~10月25日 おだやかな人生なんてあるわけがないですよ   「ムーミン」 より スナフキン スナフキン・・・「ムーミン」に出てくるキャラクター。ムーミントロールの親友。服を着て靴を履いており、人に似た姿だが、手が四本指、しっぽが描かれている。自由と孤独、音楽を愛する旅人。クールで物事を所有することを嫌う。冬の来る前に南へ旅立ち、春の訪れとともにムーミン谷に戻ってくる。 【如是我聞】   先日、卒業生の結婚パーティーに呼ばれ、行ってきました。私がその子たちを受け持っていたのは、彼女たちの中学三年間で、もう11年前のことになります。今は社会人として、様々な仕事に就いて頑張ってくれています。その姿を見ただけで安心し、ほろっとしてしまいました。 というのは、彼女たちの中学時代は、友人同士のいざこざなど、毎日のようにいろんな事件を起こし、よく指導していたからです。私にも彼女たちにとっても、穏やかという言葉からはほど遠い生活をしていました。卒業後も、彼女たち自身には試練と言われるようなことがあり、心配したことがありました。そういった経験を積んだ彼女たちと再会し、まだまだいろいろあるんだけれども、穏やかで優しい顔になったのを見て安心しました。彼女たちとの関わりに、ようやくひと段落がついたのだと思いました。 このテーマで文を書くことになり、「穏やかでない」時のことを考えてみました。悩んでいる時、困っている時など、どうしても悪い方に考えてしまう。一方で、嬉しすぎてドキドキしてしまう時も穏やかに過ごせていないことになる。そう、喜怒哀楽で心が揺さぶられている時は「穏やかでない」のです。様々な経験を積むことによって、しんどい思いをして心身ともに鍛えられていくと、ちょっとしたことでは感激しなくなったりする。そう、慣れていくことによって、穏やかなままでいることが多くなっていくのではないのでしょうか。 アラフォーと言われる世代に突入した私ですが、まだまだ心揺さぶられることが多くあります。結構いろんなことを体験してきたと思うのに…。まだまだ人生の試練が待っているんだろう、覚悟しないといけないんだろうな。ああ、辛い。いやいや、暗いことばかり考えていてはいけない。もっといいことに出会える人生が待っているに違

常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションだ

今週の一週一言                                   9 月 28 日~ 10 月 4 日   常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションだ                      アインシュタイン アルベルト・アインシュタイン(1879~1955)  ・・・  ドイツ生まれのユダヤ系理論物理学者。相対性理論を発表。ナチスの迫害をさけて、 1933 年アメリカに亡命し、戦後は平和運動に努めた。 【如是我聞】   母親にしかられるときの決まり文句がある。「あんたなぁ、常識的に考えてみられぇ!分かるじゃろ!」。これを言われたときに思うことはいつも同じ。「そんなん言われても知らんかったんじゃもん!一般常識だろうがなんだろうが、知らなかった私にとっては常識じゃない!」。もちろん怖いから、口に出したことはない。父親は父親で、「○○○は知ってるよね?」とよくたずねてくる。たいがい知らないことが多いので、「ううん」と答えると、沈黙が返ってくる。この沈黙が長いので、「それって有名?」と聞くと、「……。一般的な常識かもしれないね」と、遠慮がちに言われる。少し残念そうな顔で。…母親にしかられるより、なんとなく哀しい。  そんなわけでというのもおかしいが、「常識」という言葉は昔から苦手だ。だからアインシュタインのこの言葉に出遭ったとき、大きな味方をつけたみたいで少し嬉しくなった。そういう意味じゃない!とアインシュタインに怒られるだろうが。だが実際、常識とは、何をもってそう呼ぶのだろう。常識のない人間と言われたくはないが、いかにそのことが当たり前で大勢の人に共有されていても、それにたまたま出遭わず、知らないままで大人になることも多い。結局のところ、人によって常識の範囲は異なるのではないか。  まぁしかし、きっとそんなのは言い訳だ。ものごとを知らなすぎる自分を棚あげした、子どもの考える屁理屈にすぎない。ともあれ、そんなことをブツクサ思いながら大人になった私もまた、今まさに、教壇で偉そうな物言いをしているのだろう。ついつい口にしてしまう、「○○○ってよく聞くよね?」という言葉。キョトン、とされるとなんだか残念な気持ちになってしまう。共有できなかったのがなんだか寂しいのだ。苦手だった「常識」を、今度は何気なく誰

世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

今週の一週一言                             9  月7日~9月13日 世界全体が幸福にならないうちは             個人の幸福はあり得ない 宮沢賢治...詩人、童話作家。1896年8月27日岩手県生まれ。1933年没。郷土岩手に基づいた創作を行い、作品中に登場する架空の理想郷に、岩手をモチーフとしてイーハトーブと名付けた。生前刊行されたのは『春と修羅』・『注文の多い料理店』だけであったため、無名に近い状態であったが、没後に草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となっていった。 【如是我聞】 宮沢賢治は、 30 歳のとき花巻農業高校の教員を辞め、農民とともに生きる決心をした。そして、昼は鋤を手に夜は農民相手に勉強会を開いた。その教科書の冒頭に「世界全体が幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない」と書かれていた。 まず、宮沢賢治の言う「個人の幸福」とは何かを自分なりに考えてみた。おなか一杯ご飯を食べたいとか、お金をたくさん稼ぎたいとかいう欲望だろうか。人が欲望を満たしたとき、個人の幸福を得ることができるのかと考えると何か違うように思う。次に、私自身にとって幸福なときとは何かを考えてみた。教員として毎日の生活を送っている私は、生徒が達成感を得てうれしそうにしているときに感動を覚える。生徒が目指していた大学に合格したとき部活動で大切な試合に勝利したとき、自分が少しばかりかかわったことで人が喜んでいる様子を見るときが幸福なのだと思う。個人の幸福とは、自分のこれまでの経験を考えても誰かが幸せになることによって得られるのではないかと考える。 世界全体という広い世界を考えるのは少し難しいが、この学校のことを世界ととらえたときこの学校全体が幸福にならなければ生徒・教職員の個人の幸福も得られないのだろう。賢治は、今まさに私たち学校に関わるものすべてに必要なことを伝えてくれているのだと考えたい。 先日、テレビで放映されていた映画「 STAND BY ME ドラえもん 」を見てあるシーンが心に残った。しずかちゃんのお父さんがのび太クンとの結婚式を翌日に控えた娘に対してこんな言葉を話していた。「人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる。それが人間