今週の一週一言 2 月 3 日~ 2 月 9 日 人は、気のきいたことをいおうとすると、 なんとなく、うそをつくことがあるものです サン=テグジュペリ(『星の王子さま』より) サン=テグジュペリ( 1900 ~ 1944 ) ・・・ フランスの作家、飛行士。空をとぶことに情熱を燃やし続け、『夜間飛行』などで賞賛を博す。第二次世界大戦でフランスの解放軍に加わるが、飛行中隊長として偵察任務でコルシカ島を飛び立ってのち、行方不明となった。 【如是我聞】 先日、ニュースで流れた NHK 全国短歌大会の話題にふと目がとまった。「君はつね ゴシック体でものを言う 疲れるだろう 明日 ( あした ) は雨だ」。大賞のひとつとなったこの作品は、文章も話し方もつい強調してしまう自分のことを、他人が話しているように表現した、その巧みさが評価されたのだそうだ。人と話しているとき、自分の表面に、いや、言葉の表面に、なにかの膜を張っている気がする。「うそをつく」とまではいわないが、なにかしらを「強調」しているような気がする。この短歌を聴いて、そんな不安を抱えていた時期を思い出した。 話す相手によって、属する集団によって、私は態度を変えている。“私”の形は変わっている。それぞれの相手が、親しい親しくないとはっきり分かれるならいい。しかし、クラブの友人、学科の友人、高校の友人 … 皆、私の中では同じくらいに大好きな人たちで、大切な集団だ。どれかの中にいるのが本物の私なら、それ以外は自分を偽り、演じている?もしかして、仲がいいと思っているのはうわべだけで、心の奥底では相手を信じていない?…というかそもそも、いったいどの集まりで見せている“私”が本当の私なのだろう。自分で自分がよく分からない。 今思えば、私はよくよく暇だったのだろう、とさえ思える悩みである。ちなみにこの悩みを一蹴したのは友人の言葉であった。「歳をとるってことは、たくさんの仮面を持つようになるってこと」。だから、その場の集団によって、仮面をつけかえるのは当然。もちろん、完全に猫をかぶった偽りの自分もあるが、それは別として、ある意味、すべての仮面が素の自分なのだ、と。あれ以来、不思議と気が楽になった。私は“私”をいくつも持っている。短歌で詠
大谷中学高等学校 (※著作権の関係上、WEBについては毎週掲載とならないことをご了承ください。)