WEBページでは「一週一言」を夏期休暇中ということで、2学期から再開の予定です。
また、現在、毎週木曜日21:00から KBS京都で放送中の「大谷発未来行」でもお聞きになれます。
よろしくお願いします。(本校ホームページでもお聞きになれます。)
2012年7月30日月曜日
2012年7月10日火曜日
7月9日~7月15日
7月9日~7月15日
なんでもやってみなはれや やらなわからしまへんで 鳥井信治郎
1879年生まれ サントリー創業者。「なんでもやってみなはれや」は口癖だったという。
【如是我聞】
釈尊は6年間の苦行をやめた。親鸞聖人も20年間の比叡山での修行をやめた。両者とも、放棄したのではなく、「あきらめた」のである。
仏教では「あきらめる」を「諦める」という。「諦」とは真理・道理ということで、「諦める」とは、「真理・道理を明らかにする」という意味になる。
ただ単に「あきらめた」のであれば、後からもっともらしい理由や説明をつけて、自分の立場を正当化しようとする。負け惜しみによる自己満足や、やせ我慢である。まるでイソップ童話に登場するブドウを取り損ねたキツネのように。私たちがあのキツネの気持ちをよく理解できるのは、大なり小なりそのような経験があるからであろう。
「諦めた」のなら納得した上でのこととなる。納得した上で断念したのなら、そこには負け惜しみはない。自己を正当化する必要もない。安心して次へ進むことができる。人間、「諦め」が肝心だ。
(や)
2012年7月2日月曜日
7月2日~7月8日
7月 2日~7月 8日
人が旅をするのは到着するためではなく旅をするためである ゲーテ
ドイツの文豪。疾風怒濤運動の先頭に立つとともに、ヴァイマル公国の宰相に就任して政治家としても活躍。シラーと親しく、のちにはドイツ古典主義文学を大成。
【如是我聞】
「わたくしはこの歳になるまで、ただ急いで終点につくことばかりを考えていたらしい。目的を追い、結論にいたることだけに、じたばたしながら毎日を過してきたようである。一日一日に、花の香りは漂い流れているし、毎日毎日に、落花の風情が興趣を深めている。そこに眼の及ぶこともなく、終点到着だけに心奪われていた、ということになる。さて、その終点でいったい何が待っているのであろうか。愚かなことである」。・・・「それにしても、今の子供たちはどうなるのであろう。幼稚園から大学まで、そして卒業してからも一生涯、山の彼方に何かがあるように思うて、その日その日を手段化し、競馬のように鞭をあてられ、走っている。やがて終点が見えてきたとき走り疲れた人たちは、こんなことをつぶやいている。〈何もしないでジットしていたい、自分が忘れたい、できたら蒸発したい〉。こういう人間を作ることが、教育の名のもとに行われているような気がしてならない」。 『燈花集』(昭和52年)
広小路亨名誉校長の至言である。これ以上何を付け加える必要があろうか。 (や)
2012年6月26日火曜日
6月25日~7月1日
前へ!これがすべての原点 北島忠治
1901~1996 元明治大学ラグビー部監督。「前へ」と言い続けた彼のこの言葉は、明治ラグビーの代名詞となる。
【如是我聞】
キャッチコピーやスローガンといったものは、単純で短い方が分かりやすいが、単純だけにその解釈は人によって多様となる。ラグビー界においては、「前へ」とはトライに近づくために、少しでも相手の陣地奥深くに楕円形のボールを進めよということであろう。では本校にとって「前へ」とは?私は校訓にある、「不断に精進せよ」と解釈したい。
私たちはやらなければならないことがあると思っていても、毎日の忙しさの中でついつい先送りにしてみたり、忘れてしまったりすることが実に多い。本当にやらなければならないことは分かっているのに、色々な言い訳が先行する。そんな私たちに校訓は教え諭す。「不断に(怠ることなく)精進(努力)せよ」と。
精進の原義が「勇敢さ」・「勇者たること」であることを思えば、明治ラグビーの「前へ」に通じるものがありはしないか。勇気を持って、本当にやらなければならないことに向き合いたいものだ。
(や)
2012年6月25日月曜日
6月18日~6月24日
始まりはすべて小さい
キケロ
キケロ・・・共和制ローマ期の政治家・文筆家・哲学者である。無名の家系出身でありながら、当時の共和制ローマ期に「古代ローマ最大の政治家」と言われるまで上りつめた。ギリシャ哲学をラテン語に翻訳してローマへ導入し、のちの西欧世界に大きな影響を及ぼした。著作は『国家について』『法律について』『善と悪の究極について』など。
【如是我聞】
何かに取り組むとき、周囲からどう見られるかと不安になることがあります。周囲の目を気にしだすと我慢することが習慣化し、次第に何を我慢しているのかさえ分からなくなってしまいます。そうしていると、ついにはどこか我慢していることを喜んでいる自分さえいるような気持ちになってくるのです。
今、自分のためにできることは何でしょうか。私たちは「周囲からどう評価されるか」ではなく「どんな人になりたいのか」と常に自分自身に問うべきだと思います。自分のしたことを他人のせいにせず、自分で責任をとれるように。そしていい人だと認められるのではなく、自分が本当に喜べることを始めていくべきだと思います。
わたしがわたしらしく生き生きと生きるために、まずは安心して自分の足で一歩踏み出しましょう。 (文責 さ)
キケロ
キケロ・・・共和制ローマ期の政治家・文筆家・哲学者である。無名の家系出身でありながら、当時の共和制ローマ期に「古代ローマ最大の政治家」と言われるまで上りつめた。ギリシャ哲学をラテン語に翻訳してローマへ導入し、のちの西欧世界に大きな影響を及ぼした。著作は『国家について』『法律について』『善と悪の究極について』など。
【如是我聞】
何かに取り組むとき、周囲からどう見られるかと不安になることがあります。周囲の目を気にしだすと我慢することが習慣化し、次第に何を我慢しているのかさえ分からなくなってしまいます。そうしていると、ついにはどこか我慢していることを喜んでいる自分さえいるような気持ちになってくるのです。
今、自分のためにできることは何でしょうか。私たちは「周囲からどう評価されるか」ではなく「どんな人になりたいのか」と常に自分自身に問うべきだと思います。自分のしたことを他人のせいにせず、自分で責任をとれるように。そしていい人だと認められるのではなく、自分が本当に喜べることを始めていくべきだと思います。
わたしがわたしらしく生き生きと生きるために、まずは安心して自分の足で一歩踏み出しましょう。 (文責 さ)
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