今週の一週一言 10月31日~11月6日 凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。 それは彼が「見」ないで眺めるからです。 オーギュスト・ロダン オーギュスト・ロダン 1840 年~ 1917 年。フランスの彫刻家。 19 世紀を代表する彫刻家とされ、「近代彫刻の父」とも称される。ほとんど独学で彫刻を習得したことで知られている。 【 如是我聞 】 オーギュスト・ロダンと言われて,ハァ?と思う人もいるかもしれないが,「考える人」と言われて知らない人はいないだろう。でも , あれも単体でつくられたのではなく「地獄の門」という未完の作品の一部だ。「地獄の門」は未完で写真しか見たことがないが , 見る限りすごい迫力を感じる。その門の上の方にちょこんといるのが「考える人」なのだ。地獄を見て私も考えた,ということだろうか。 そのロダンだが,美術の専門教育を受ける機会もなく独学で彫刻を習得したらしい。そうなったのは,エコール・ボザールという美術学校に2浪(3回受験)しても受からず , まったく相手にされなかったからで , 結局職人として働きながら技術を磨いた彼は学校 ( アカデミズム ) というものを嫌悪するようになる。もちろん技術の自信も身についてのことだろう。 ( この話 , 個人的には大学と縁がなかった牧野富太郎を思い出す。牧野の弟子の講演を聴いたことがあるが,大学というものへの嫌悪感をあからさまにしていた。)その間,将来の伴侶となる女性とも出会って職人としてまじめに働くが生活が苦しくなる。彫刻もあきらめそうになった 35 歳に,奥さんと訪れたイタリアでミケランジェロの彫刻を見て目ウロコだったそうで,故郷に戻り青銅の彫像に再び取り組んだ。アカデミズムへの嫌悪感も払拭されたらしい。あれだけ有名な彫刻家にしてこれだけ曲折した苦悩の人生があった。 さて、今回の言葉にある,「眺める」と「見る」ってなんだろうな,と思う。私個人は自然科学出身なので , まずは眺めることから始める癖がついている。でもロダンはきっと違うだろう。中学校で習う see と look の違い?, hear と listen の違い? そんな甘いことなんだろうか。「考える人」を思い出してほしい。あんな風に考え
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