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過って改めざる これを過という

今週の一週一言                                   12月1日~12月7日   過って改めざる   これを過という 『論語』衛霊公29             『論語』・・・孔子とその高弟の言行を、孔子の死後、弟子たちが記録した書物。『孟子』・『大学』・『中庸』とあわせて、「四書」の一つに数えられる。 【如是我聞】 人は誰しも生きていれば過ち(失敗)を犯す。失敗の内容にも小さいものから大きなものまでいろいろあるだろうが、とにかく失敗をしない人間なんていないだろう。よかれと思ってやったことが裏目に出てしまうなんてこともいくらでもある。 「失敗は誰だってするのだ。肝心なのはその後だよ。その失敗を反省し、どう改めて次に生かすかを考えなさい。失敗をそのままにして同じ失敗を繰り返すことを真の失敗というのだよ。」孔子という人物が実際どんな人だったのかは知らないが、きっとそんなふうに弟子に語ったのではないだろうか。 孔子が後継者として考えていたと言われる愛弟子に顔回という人物がいる。この人物を私が知ったのは高校時代に読んだ酒見賢一氏の『 陋巷 ( ろうこう ) に 在り』という小説である。とても魅力的な人物として描かれており、以来、教科書や参考書で目にした『論語』の中に顔回の名を見つけては「ああ、あなたはここにいたのね」と勝手に親しみを持っていた。記録によると顔回は質素な生活をし、謙虚で苦労を厭わず、怒りを表すこともなかったというよくできた人物であったようだ。孔子は彼を「過ちを 弐 ( ふたた ) びせず (同じ失敗を二度と繰り返さない)」と評価している。なんと優秀な人物であろうか。大学生にもなってクラブの先輩から「先生に一度注意されたことは二度と同じことを言わせちゃダメなのっ!!」と語気も荒く叱られた経験のある私とは雲泥の差である。 今でも私は要領の悪さゆえにギリギリに仕事を片付ける羽目に陥るという失敗を嫌というほど繰り返している。生徒には日頃「同じ失敗を何度も繰り返すな」と言う一方で、私自身は真の意味で反省をしていないのだとげんなりする。そんなことで「過って改めざるこれを過ちという」は私にとって耳の痛い言葉である。 もう一つ、『論語』の「過ち」に関する有名な言葉「過

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし  師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし

今週の一週一言                                    11 月17日~11月24日 如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし  師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし       『正像末和讃』 親鸞聖人    1173~1262。 幼少の頃出家し、比叡山延暦寺に学ぶ。29歳の時、山を下り、法然の門弟となる。法然に連座して越後に流され、赦免後は常陸に住み、多くの人々を教化する。晩年は京都に戻り、『教行信証』などの著述に専念した。 【如是我聞】 2014.11.21. Ⅵ年3組   担任からの手紙   高校生活最後の報恩講に際して 2008年11月21日(金) 報恩講 多田前校長の講話から 『宿 題』 今日の宿題は つらかった 今までで いちばんつらい宿題だった 一行書いては なみだがあふれた 一行書いては なみだが流れた 「宿題は お母さんの詩です。」 先生は そう言ってから、「良子さん。」と 私を呼ばれた 「つらい宿題だと思うけど がんばって書いてきてね。 お母さんの思い出と しっかり向き合ってみて。」 「お母さん」と 一行書いたら お母さんの笑った顔が浮かんだ 「お母さん」と もうひとつ書いたら ピンクのブラウスのお母さんが見えた 「おかあさん」と言ってみたら 「りょうこちゃん」と お母さんの声がした 「おかあさん」と もういちど言ってみたけど もう 何も 聞こえなかった がんばって がんばって 書いたけれどお母さんの詩はできなかった 一行書いては なみだがあふれた 一行読んでは なみだが流れた  今日の宿題は つらかった 今まででいちばんつらい宿題だった  でも 「お母さん」と いっぱい書いて お母さんに会えた 「お母さん。」と いっぱい呼んで お母さんと話せた 宿題をしていた間 私にも お母さんがいた           つい先日、お母さんを病気で亡くした小学校6年生の中村良子さんの詩です。   多田先生にお願いしたところ、早々にこの詩のFAXを送ってくださいました。 家の人にも読んでもらってください。    報恩講はこういう一日なんですね。 (数学科:常富) トップページ

百聞不如一見

今週の一週一言                                    11 月4日~11月9日     百聞不如一見              『漢書・趙充国伝』より 『漢書』・・・後漢の歴史家班固が著した前漢の正史百巻。西暦八十二年頃成立。 【如是我聞】 皆さん、一度は聞いたことのある「百聞は一見に如かず」です。漢字から直訳すると、意味は「百回聞くよりは一回見た方が良い」となるわけですが、「他人から聞く」「自分で見る」という視点が入って、「他人から聞くよりは自分で見る方が勝る」という意味合いで使っている人も多いと思います。(百と一の割合は、そこまで・・・・と思うのは私だけ?)   漢書の原文はこの「百聞不如一見」で終わりなんですが、実は続きがある、というより、おそらく日本に渡ってからひと工夫した人がいたのでしょう、こう続きます。「百聞不如一見」の後に、「百見不如一考」「百考不如一行」「百行不如一果」。つまり、簡単に不等号を使って表すと、「聞く」<「見る」<「行う」<「結果を出す」となります。私のこの4行の解釈は、「見る」で止まるな、行動に移せ、結果を出せ、という脅迫的な意味ではなく、「結果」には様々なプロセスとご縁がある、という逆からの見方で、 4 つセットを大切にしています。   昨今、和食に代表されるように、先祖代々の先輩たちが築いてきて下さった「和」の文化の素晴らしさが取り沙汰されていますが、こういった一歩踏み込んで更に工夫する能力は、次世代に受け継いでゆかねばなりません。 では、私もこの 4 行に一歩踏み込んでみることにしましょう。最初の「百聞不如一見」の前に、「自分の殻に百回閉じこもって考えるよりも一回人の話を聞く」、つまり、「百閉不如一聞」。また、最後の「百行不如一果」の後に、「自分に対する百回の結果よりは、他人に対する一回の奉仕 ( 行い ) の方が・・・・」。ここまでいくと、漢字でどう表したらいいかわかりません。 ただ、こんなふうに考えていくと、最初の行き着く先も最後の行き着く先も、同じところのような気がしてなりません。私は仏教を深く勉強したわけではありませんので、使い方はおそらく間違っていると思いますが、「無」という漢字が一番近いような気がします。 更に更に、数

人の交わりにも季節あり

今週の一週一言                10 月 27 日~ 11 月 2 日 人の交わりにも季節あり 南方熊楠( 1867 ~ 1941 ) ・・・和歌山生まれの植物学、民俗学、博物学者。 18 言語を解し「歩く百科事典」と呼ばれ、菌類の研究では新しく 70 種を発見した。自然保護の観点から神社合祀令に反対運動を起こし、日本における“エコロジー”の先駆ともなった。 【如是我聞】   私が小さかった頃、まだ、自分がそうであるなら他人もまたそうであるのだと思っていた頃、私は母に尋ねたことがある。「どうして同じクラスに誰がいたのか覚えてないの」と。小学生だった私は、当時のクラスはもちろん、何年生で誰と一緒だったか、全てはっきり覚えていた。なぜならクラス全員が“友だち”だったから。母は困った顔で笑っていた。  最近、ふと心配になることがある。仕事を始めてから、友人に会うことがめっきり減ってしまった。忙しいから、日が合わないから、休日は少しでも休みたいから。なんだかんだと理由をつけて断ることも多く、連絡の返信も途絶えがちである。友人に会いたくないわけではない。が、すべての友人と遊ぶ気力もない。だから会う人、会わない人とだんだん線引きがなされていく。このままではいつか、せっかくの友人がいなくなるのではないかと、ぼんやり不安に思うのである。 その昔、南方熊楠は、留学先のロンドンで亡命中の孫文に出会った。意気投合とはこのことで、「三日にあけず」頻繁に会い、議論を交わした。孫文は熊楠のことを「知音」(親友)と記し、熊楠の帰国後は、和歌山で再会もしている。その後、孫文は中国で革命を成功させたが、その来日の際、熊楠はあえて面会しなかった。「小生孫氏に対し何一つ不都合・不義理なことありしにあらず、ただ人の交わりにも季節あり」、熊楠はこう記したという。 人の縁とは不思議なもので、どこに転がっているか、どれが続くか全く分からない。高校の頃、“友だち”は私の中で少なくとも 3 種類あった。休み時間を一緒に過ごすグループ、放課後だけ教室に集まるメンバー、それからクラスは違えど 3 年間の大親友。現在も頻繁に会うのは放課後メンバーで、「不思議だね、私たちが続くなんて。休み時間に一緒にいることなんて一度もなかったのに」と会うた

私たちはいわば二回この世に生まれる  一回目は存在するために 二回目は生きるために

今週の一週一言                  10 月14日~10月20日   私たちはいわば二回この世に生まれる      一回目は存在するために 二回目は生きるために J . J . ルソー( 1712 ~ 1778 ):ジュネーブ共和国生まれ。哲学者、教育哲学者、作家、作曲家と、フランスにおいて幅広く活躍。『エミール』など、著書多数。 【如是我聞】   ルソーの古典的な教育論、『エミール』の中の言葉だ。幼年期、少年期を終えて思春期の教育がどうあるべきかを記した第四編の最初におかれている。岩波文庫の今野氏の訳ではこの後、「はじめは人間に生まれ、つぎには男性か女性に生まれる」と続くが、ルソーの原文では、「 l ’ une pour l ’ espece, et l ’ autre pour le sexe. (一回目は人間という種として、もう一回は男性女性という性を持つ者として)」と書かれている。人は、思春期になってはじめて、それまではただ存在するだけでどう生きるかを考えもしなかったのに、情念に目覚め、第二次性徴の現れとともに体が大人になり、激しく異性を求める時期に入る。そして、この時期こそ「まさにわたしたちの教育をはじめなければならない時期だ」とルソーは主張するのだ。  ここでちょっと余談。残念ながら今から250年前を生きたルソーには、性を「ジェンダー」として捉えるという発想はなかっただろう。思春期に体が大きく変化する男性は、「嵐のような」この時期をくぐり抜けなければならないが、女性はいつまでも子供にとどまっていると考えていたようだ。なんで? まあ、そこは目をつぶって先に進もう。  では、ルソーはどんな教育をはじめなければならないというのか。「目がいきいきしてきて、他の存在をながめ、わたしたちのまわりにいる人々に興味をもちはじめ、人間はひとりで生きるようにはつくられていないことを感じはじめる。こうして人間的な愛情にたいして心がひらかれ、愛着をもつことができるようになる」という、この思春期の性本能の目覚め、伴侶を求める異性に対する欲求の発現を、「人間愛」の感情へと育てていくことだと説くのである。自分に対する愛しか知らなかった子供が異性である他者に目を向け始めたこの時期に、柔らかい感受性を利用して他者

道は近きにあり 迷える人はこれを遠きに求む

今週の一週一言                     9 月29日~10月5日 道は近きにあり 迷える人はこれを遠きに求む  清澤満之・・・ 1863 ~ 1903 ,名古屋市生まれ。本校初代校長 。宗教家、思想家、哲学者。 【如是我聞】 中国北魏の僧 曇鸞 ( どんらん ) は 深く仏教に学ばれていたが、体調を崩し、「このままでは 仏教の学びを続けられない。まずは健康だ 」 と山に入られた。その山には 陶弘景 ( とうこうけい ) という名の仙人になる道を教える師がいた。目指すのは不老長寿である。仙人というと、 霞 ( かすみ ) を食べるとか、呪術や 超能力といったもの が浮かぶかもしれないが、実際には薬学や栄養学が盛ん(この頃に漢方薬や食物の 効能の 研究が進んだと言われる)で、正しい生活習慣と運動の知識も身に着けた。 数年後、曇鸞は体調が戻り、師に認められて不老長寿の秘訣が説かれた「 仙 ( せん ) 経 ( ぎょう ) 」を与えられ、それを手に山を下りた。家に向かう途中、馬に乗った三蔵法師(=経・論・律の三蔵に明るい僧) の 流支 ( るし ) に出会い、声をかけられる。   《流支》どうしてそんなにうれしそうに歩いておられるのじゃ   《曇鸞》よくぞ聞いてくださった。私もあなたと同じ仏教に学ぶものですが、体を崩し、陶弘景先生の元で修行を積み、不老長寿の道を授かったのです。この仙経を読めるかと思うとついつい笑顔がこぼれるのです。   《流支》この馬鹿者がっ!仏教に学ぶ者がただ長生きできると喜んでおるのか。人が30年生きたとして、その30年間苦しむところを、おまえはその倍生きて、人の倍の長さを苦しむことを喜んでおる。情けない。これを読みなさい。 手渡された経典には「阿弥陀」という仏の教えが説かれていた。阿弥陀は「無量寿」とも呼ばれ、「量とは関係のない 寿 ( いのち ) 」、「量ることのできないいのち」の教えである。 自らの迷いに気付き、 その教えに目覚めた曇鸞は、せっかく手に入れた仙経を庭で焼き捨てた。一度も見ることなく ( 見てからでもよかったのになどと思うのは、私だけだろうか )。 仏教に学ぶ曇鸞にとって、道は近くにあったのだ。いや、すでにその道を歩んでいたのだ。しかし、我執というか欲望

きのふの我に飽くべし  芭蕉 

今週の一週一言                                   8月25日~8月31日 きのふの我に飽くべし        芭蕉    『俳諧無門関』蓼太より 松尾芭蕉 ・・・ 1644~1694、 俳人。伊賀上野の生まれ。のち江戸に下り,俳壇内に地盤を形成,深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風を開拓した。「おくのほそ道」の旅の体験から,不易流行の理念を確立し,以後その実践を「細み」に求め,晩年には俳諧本来の庶民性に立ち戻った「軽み」の俳風に達した。 【如是我聞】 「飽く」とは、ある辞書に「いやになって,続ける気がなくなる」と説明されている言葉です。それまでの自分に拘り続け、過去の柵に縛られるような人生を、おそらく芭蕉は認めなかったのでしょう。 人は誰しも現状に甘んじ、ついつい安楽で簡便な方法や生き様を求めてしまいます。誰しも「きのふの我」は、甘く、懐かしいものです。私たちの多くは、この居心地のよい幸せな場所を愛おしいと思い、そこにある自分の生き様に誇りすら持っていることでしょう。それは勿論素晴らしい過去には違いないのですが、あえて過去を「いやになって」あげるもう一人の自分が必要なのですね。勿論、そのためにはかなりの勇気とエネルギーが要るのですが、過去に縋ることで新たな一歩へと踏み出すことが躊躇されるとしたら、それは皆さんにとって本当に勿体無いことです。 多くの場合、過去と戦い、新たな挑戦を日々経験することは、自分の感情や感性、それに肉体までもが更新されてゆく素晴らしい体験をもたらしてくれます。目の前が大きく明るく開け、まるで脱皮したかのように再生した自分を楽しめることでしょう。私自身、何度もそういう経験をしてきました。何かを体得したような幸せな気分で、足どりも軽く街を歩いたことだってあります。 打ち勝つべきものは、周りの何かや誰かではなく、過去に埋もれた、昨日までの退屈な自分なのです。 でも、けっしてあなたの過去を否定するわけではありません。過去の体験は未来の糧であり、それをもとに明日の自分が模索される=「飽く」のであれば、そして、戦うべき敵は何かを知るのであれば、それこそが人としての本来の生き方なのでしょう。 芭蕉は、まさに打ち勝つべき敵は何かを知り、その一生涯を通して劇

想像力は知識よりもっと大切である

今週の一週一言 7月28日~8月24日 想像力は知識よりもっと大切である Imagination is more important than knowledge アルベルト・アインシュタイン ・・・ 1879~1955、ドイツ生まれ。ユダヤ人の理論物理学者。1921年ノーベル物理学賞受賞。相対性理論・光電効果の解明など、輝かしい業績を持ち、20世紀最大の物理学者とも、現代物理学の父とも呼ばれる。 【如是我聞】 同じ読みの「創造力」という言葉がある。昔、中高校生の頃にはこの言葉のほうが大切だと思い込んでいた。「想像する」という行為は、当時の夢見がちな自分への自戒をこめて、行動の伴わない一種の逃避行動であるかのように思っていた。ただぼんやりと考えているだけでは何も始まらないと。この先自分が生きていく世界のありようを理解し、いろんなものを作り上げていくのに必要なのは知識の集積とそれに基づく創造なのだと。 ジョン・レノンの「イマジン (Imagine) 」という歌を初めて聴いた(中3だったか、高1の頃だっただろうか)ときも、理想の世界を想像しようという呼びかけに共感を覚えたが、「想像するだけでは何も変わらないよな」と思っていたし、その中でジョン自身が “You may say I’m a dreamer.”( 君は僕を夢想家だというかもしれない ) と歌っているのを聞いて、「その通り」だと突っ込んでいた。 しかし、いつの頃からか、自分の学びの限界を感じた頃からだろうか、それとも教壇に立たせてもらうようになり、知識をただ詰め込もうとする生徒の姿を目にして、教えるということはただ知識を伝えるだけでは十分ではないと感じ始めた頃からだろうか、実は想像力こそが人や世界を動かす、あるいは必要なときには立ち止まらせる原動力なのではないかと思うようになった。 このアインシュタインの言葉はさらに「知識には限界があるが、想像力は世界を包み込む」 ( ,for knowledge is limited while imagination embraces the entire world.) と続く。知識は有限であり、そこからは当然限られた範囲のものしか生まれてはこない。ところが、想像力はこの世界を包み込むほどに

子供を不幸にする一番確実な方法は何か それをあなた方は知っているだろうか  それはいつでも何でも 手に入れられるようにしてやることだ

今週の一週一言 5 月26日~6月1日   子供を不幸にする一番確実な方法は何か それをあなた方は知っているだろうか   それはいつでも何でも 手に入れられるようにしてやることだ              ジャン=ジャック・ルソー( 1712 ~ 1778 ):ジュネーブ共和国生まれ。哲学者、教育哲学者、作家、作曲家と、フランスにおいて幅広く活躍。『人間不平等起源論』、『社会契約論』、『エミール』など、著書多数。 【如是我聞】  本校では今年、30名近い教育実習生を迎えている。私はその実習を、ここ大谷ではなく京都の某私学の高校でお世話になった。期間中に保護者会があり、実習生も同じ場で校長先生の話を聞いた。およそ覚えているその内容は、  保護者の皆さん、皆さんのお子さんをどうしようもない大人に仕上げたいと思われたら、それは簡単なことです。お子さんが望まれるものを全部与えてあげてください。その子の言うことを全て聞いてあげてください。この3年間で、それは見事などうしようもない大人が簡単に完成します。 といったものだった。聞いた私は一言で言うと「度肝を抜かれた」。  その後、実習生だけを集めた講義で、その校長先生は自分の子どもの話をされた。 そのお子さんは10代のときに、ストレスやら何やらで、肌と呼吸器関係に大きな困難を抱えるようになったそうだ。ところが、その子が高校を出てから、インドに行きたいと言った。心配はもちろんあったが、好きなことをさせてやろうとの思いで許されたという。半年後に手紙と写真が届いた。肌も呼吸も問題が消え、笑顔で野菜を育てている娘さんがそこにいた。  私たちは国を挙げて、住みやすい環境を整え、安心で安全で便利な社会を作ろうとしてきた。また、幸せになるための教育をしているという。本当にそうと言えるのか。教育に携わるものとして深く考えた次第です。  便利になるということは「それまで必要だった手続きが要らなくなること」だと教えられた。だから、便利になることで確実に失うものがあると。  ルソーの言葉は誰に向けて投げかけられたのか。いつの時代を生きる者に対する批判だったのか。深く考える次第です。            (宗教・英語科  乾) トップページ

高原の陸地ろくじには蓮華を生ぜず 卑湿の淤お泥でいにいまし蓮華を生ず

今週の一週一言 3 月17日~3月23日   高原の 陸地 ( ろくじ ) には 蓮華を生ぜず  卑湿の 淤 ( お ) 泥 ( でい ) に いまし蓮華を生ず                       『維摩経』・・・初期大乗経典の代表作の一つ。主人公である在家の維摩詰が大乗思想の核心を説きつつ、出家の仏弟子や菩薩たちを次々と論破していくさまが、文学性豊かに描かれている。 【如是我聞】 蓮の華は 卑湿の淤泥、じめじめとした低湿地の泥中 を住み処とします。泥を離れて蓮の華は咲くことができません。涼やかな高原の陸地では蓮の華は開かないのです。 泥の中においてはじめて華が開く。これは泥、すなわち煩悩の意義を表しているのだと思います。煩悩あればこそ人は真理を求めるということです。いや、むしろ煩悩が真理を求めしめるのかもしれません。種々の煩悩によって私たちは苦しみ、悩みますが、その苦悩が人を求道者たらしめるのであって、泥を切り捨てたら、私たちの煩悩と求道の関係がなくなってしまいます。 『維摩経』は「卑湿の淤泥のなかにあって清らかに咲く蓮華のように、世間のなかでひとり聖人君子として生きよ」と言っているわけではなく、むしろ「蓮の華を咲かせてくれるのは、実は泥なのだ」という事を教えてくれます。泥の中に生えても、泥に染まらないぞというのではなく、泥を自らのいのちとして咲く華だということです。いうなれば泥の尊さを表すのでしょう。また、そのことに気づくのも自分の力ではなく、世俗を這いずり回り、文字どおりたくさんの泥をかぶっていくなかで、「気づかされる」のでしょう。  泥のなかから 蓮が咲く  それをするのは蓮じゃない  卵のなかから 鶏が出る  それをするのは鶏じゃない  それに私は 気がついた。 それも私のせいじゃない                   「蓮と鶏」金子みすゞ (文責:宗教・社会科 山田) トップページへ  http://www.otani.ed.jp