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花開くとき蝶来たり、 蝶来たるとき花開く

今週の一週一言

107日~1013

 花開くとき蝶来たり、

蝶来たるとき花開く

              良寛

良寛(1758-1831)

 曹洞宗の僧侶であり、書家。生涯、寺を構えなかった。歌人としても漢詩人としても有名であるが、特にその書は絶賛されている。

【如是我聞】

「『チュウシする』の『シ』って『山科区』の『区』やんな?」

 うちの第三子が漢字検定を受けたときのことだ。三きょうだいがそれぞれの該当する級を受検したあとの帰り道である。「落ちたかもしれない」という微妙な反応の長女、直前の過去問で安全圏を取っていたので、まあ大丈夫だろうという長男。そして我が家のシークレットウェポン、次男の反応はというと

「めっちゃできた」

とご機嫌な様子。

 しかし、しばらくすると無言に。検定の振りかえりを頭のなかでやっているらしい。そしておもむろに、ぼそっと呟いたのが冒頭のことばだ。

「『チュウシする』の『シ』って『山科区』の『区』やんな?」

 言われた母親の方こそ、頭のなかがクエスチョンマークだらけだ。

「『チュウシする』って?『中止する?』それとも『注視する?』いやいや、しかも『山科区』の『区』やんな?ってどういうこと?「シ」の漢字を聞いているんじゃないの?」

と、自身の息子の発言を何とか理解しようと頭を働かせるも、何のことだか分からない。すると、次男は

「姉みたいなやつ」

と再びぼそっと呟く。「『姉?』うちの長女みたいなってこと?」と謎に謎をかぶせてくる始末。しかし、そこは母親。はっと思いあたる。

「『姉みたいな』っていうのは『市』のことか」と。

 結局のところ、次男は

「『中止する』の『止』は『京都市』の『市』やんな?」

と確認したかったらしい(間違えとるがな)。

 ……シークレットウェポンは我が家のシークレットとしておいたままの方が良いかもしれない。

 良寛和尚のような気持ちにはなかなかなれない私。

                           (文責:国語科 小塩)

 





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