一週一言 9 月30日~10月6日
艱難(かんなん)にあって初めて 親友を知る キケロ
キケロ(Marcus Tullius Cicero, 前 106-前 43)古代ローマの政治家。法廷弁論家としてキャリアをスタートさせ、政界でも活躍したが、一 時期はローマから追放されるという憂き目にあう。ローマに戻ったあとは、「アントニウス弾 劾演説」を発表したため、アントニウスの部下によって殺された。代表作は「国家論」「友情論」など。キケロの文章はラテン語散文の模範とされ、後世へ大きく影響を与えた。
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【如是我聞】
少し前の話になるが、結婚式を挙げた。ふだんお世話になっている人から、懐かしい顔ぶれまで、多くの人に来ていただいた。その中には、ぼくの大学時代の友人たちの姿があった。
ぼくは大学生のとき、サイクリング部に所属していた。理由は何となく、旅に出てみたかったからだ。部室には、さまざまな人たちが出入りをしていた。ほかの学部の人、年齢不詳の先輩、外国からの留学生など・・・。年齢や性別、イデオロギーなどの「ごった煮」のような空間だった。ふつうに生活していたら、きっと話すこともないだろうし、ましてや友達になんてならないような人たちだ。
そんなぼくたちを結び付けていたのは「旅」だった。ぼくの所属するサイクリング部では、旅に出たくなったら、適当な紙に旅の概要を書いて、部室の壁に掲示することになっていた。その旅に同行したい人は、その紙に名前を書き連ねるという仕組みだ。だから、自分の企画した旅に、誰が来るかは分からない。仲の良い誰かかもしれないし、ほとんど話したことのない後輩かもしれない。そもそも何人来るだろうか?もしかしたら、誰かと2人旅になるかもしれないし、誰も来てくれないかもしれない・・・。
ぼくたちは、これまで様々なかたちの自転車旅に出かけてきた。「奥羽山脈を何度越えられるか?」というテーマで、東北を走りまわったこともある(途中で体調を崩した)。五島列島の教会のステンドグラスの美しさに心打たれ、冬の北海道の吹雪に心折れそうになり、ユーラシア大陸の果ての岬では心躍り・・・。すべての出来事が、ぼくのなかで鮮烈な印象として残っている。
あるとき、このようなことがあった。入部してはじめて参加した夏合宿で、ぼくは北海道を訪れた。1か月ほど、公園などで野宿をしながら、ぐるぐる各地をめぐる旅だ。初心者のぼくは仲間から離れて、ひとり最後尾を走っていた。どこかの峠道の入口で、タイヤの空気が唐突に抜けた。パンクだ、どうしよう。パンクなんて自分で修理したことはなかったけれど、持ち合わせの道具でかろうじて穴は塞ぐことができた。だけど、インフレーター(空気入れ)が機能しない。インフレーターの先端がバルブに入らないのだ。冷や汗をかきながら、なんとか空気を入れようと試みる。ああ、みんなはどうしているだろうか?当時は LINE なんてないし、きっとみんなは走るのに夢中で携帯電話なんてみていない。あせる気持ちとひとり闘いながら、何とか空気を入れることには成功した(インフレーターの先端をひっくり返すだけだった)。ぼくは遅れを取り返すべく、峠道をのぼりはじめる。こういうときに限って、向かい風だ。雨さえ降ってくる。遅々として進まない道のりに、このペダルを回し続ければ、いつか必ず峠に辿り着くと信じて、自転車をこぎ続けた・・・。靄のかかった峠に辿り着いたとき、そこには果たして、仲間が待っていた。
「同じ釜の飯を食う」という古めかしい言葉があるが、ぼくにとって大学時代の友人たちはまさにそのような仲間なのだ。
(社会科 舟木祐人)
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