今週の一週一言 8月31日~9月6:/日 君、時というものは、それぞれの人間によって、 それぞれの速さで走るものなのだよ ウィリアム・シェイクスピア William Shakespeare(1564年4月26日-1616年4月23日) イングランドの劇作家,詩人。イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物である。特に,「ソネット集」は最高の詩編のひとつとされている。 |
【如是我聞】
1時間は60分,1日は24時間,これは赤ちゃんから大人まで万人に共通な長さとして決まっている。そもそも時間の長さはどのように決められたのか? と疑問に思って調べてみた。すると,1秒の長さは,赤道上を動く架空の太陽に対して,地球が自転する時間を,24時間×60分×60秒すなわち,86,400秒で割った長さに決められたそうだ。よくよく考えてみると,われわれは時間によって縛られていると思う。もし時間という概念がなければ,1講時が50分であるとか,子供に「ゲームできる時間は1日1時間」であるとか,1日に8時間仕事をしなければならないとか,時間におわれるような生活はないだろう。しかし,時間という概念が存在し,ある程度それに縛られているからこそ,「~までに~をしなければならない」とか,「この時間までは~をする」とかという考え方が生まれてくる。そのおかげで,人類は発展してきたと言っても過言ではない。時間があるからこそ,人間は計画を立てられたり,切羽詰って力を発揮することができたりするのだろう。もし,時間という縛りもなければ,好きなときに好きなことをしたり,やらなければならないこともなかなかできなかったりするのだろうと思う。
さて,そのようなことを考えていると,私は今年の5月22日で,376,920時間生きてきたことになる。先にも述べたが,1秒の長さは万人に共通であるが,時間の長さの感覚はその時々によって違ってきた。これまでを振り返ると,最もゆっくりと時が流れたと感じるのは,小学校6年間である。中学校3年間と高等学校3年間を合わせた時間も同じ6年間であるのに,小学校6年間の方がゆったりと時が流れたと感じる。もちろん人間の成長によって感じる時間の感覚は違うのかもしれないが,今思えば,中学校時代,高校時代はクラブ活動に多くの時間を使ったことを考えると,何かに打ち込んでいる時は,時の流れが早く感じるのであろう。もちろん,人によって,どの時代が最もゆったりとした時間を持てていたかは様々であろう。時間は,その人その人によってさまざまな速さで走るものかどうかはわからないが,感じ方が違うことは頷ける。しかしながら,やはり1秒という長さは平等であることにかわりはない。命尽きるまでの時間はあとどれくらいあるのかはわからないが,尽きる寸前に,「いい人生であったな」と言えるような時間の使い方をしたいものだ。
(数学科 髙間 秀章)
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