一週一言インデックス

2020年9月30日水曜日

愚者は教えたがり、賢者は学びたがる。

今週の一週一言

                            月7日~9月13日

 

愚者は教えたがり、賢者は学びたがる。

アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ

 

アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ

  18601904。ロシアの劇作家、小説家。四大戯曲で有名だが、僕が知っているのは短編小説のみ。市井の人々をユーモラスに描いているだけなのに、実に読ませる。名言も「自明だがチェーホフが言うから深い」という感じがする(例「結婚生活で一番大切なのは忍耐である」)。なおこの名言はロシアの諺で、彼の作中の語ではないそうな。

【如是我聞】

  教員になった理由はいろいろあるが、心の底に「知識をひけらかしたい」という情動があったのを否定できない。小さい頃、僕は周囲にムダ知識を披露しては悦に入るイヤなガキンチョであった。それなら大人相手にも語れる“知の巨人にでもなれば良かったのだが、そうなれずに教職に就いて生徒にエラそうにしているとすれば、「将来の夢はガキ大将。子どものときは無理だから大人になってからなる!」と宣言してお父さんを嘆かせた、『ドラえもん』ののび太のようでもある。

  ところで、教員は文字通り「教える者」なわけだが、その中にも「教えるだけの者」と「ともに自らも学ぶ者」がいる。最近その違いを感じたのは、Eテレで観た、国語学者の金田一秀穂とアメリカ人コメディアン、厚切りジェイソンの対談だ(以下、曖昧な記憶で書いてます)。「若者の『~っす』は謙譲語だね~」などと嬉々として語る金田一先生に、ジェイソン氏が「“言葉の乱れ”って怒ってる人いますけど、先生は言われて腹立たないんスかあ?」と訊ねたところ、先生はこう答える。

  「ううん、面白い、楽しい、最高」

  ―― むろん金田一先生もゼミ生には社会常識として言葉遣いを指導していることと思うが、同時にその変化を楽しみ、新たな知見を得てもいる。物事を自らの物差しで裁断し、その正しさを疑わない者との差がここにある。別に国語学に限らない。一昔前のジュブナイル向けSFマンガには、超常現象を目の当たりにしたときに「こんなのは科学的じゃない。ありえない」と“現実を拒絶する理科の先生がよく出てきたが、これは自らの知識の枠内に事象を押さえこみたいと考える、傲慢な教える者“の態度でしかない。もしこの先生が“学ぶ者であるならば、主人公の子どもたちと一緒に未知の出来事に感動し、興味津々で身をのりだすはずだ。

  目下進行中の教育改革で、僕らは「Teacher(教える者)」から「Facilitator(促進する者)」へと役割を変えていかねばならないらしい。生徒の主体的な学びを見守り、手助けするという職務。そのとき僕は、彼らをイライラせずに見ていられるだろうか。自らの中に眠る「知識をひけらかしたい」という欲望を、どこまで抑えられるだろうか。目の前で考える生徒たちの試行錯誤を楽しみ、たとえその答が(自らの狭い知識の範囲では)間違っていたとしても、それを受け入れ、そこから何かを学ぶことができるだろうか。

                                                   (国語科  奥島  寛)





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