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人間の値うちは、テストの点数だけで決まるものじゃないのよ

今週の一週一言                                   1 月 10 日~ 1 月 15 日 人間の値うちは、テストの点数だけで決まるものじゃないのよ しずかちゃん『ドラえもん』) 源 静香 ( みなもと しずか ) 藤子・ F ・不二雄の漫画作品『ドラえもん』に登場する架空の人物で、同作品のヒロインである。野比のび太が憧れるクラスメイト。主要人物内での紅一点的存在である。愛称は「しずかちゃん」 【如是我聞】  幼いころから毎年、大晦日年越しそばを食べながら「今年はどんな一年やった?」と父に訊ねられた。幼いころはそこまで深く考えることもなく、「こんなことをやったよ、できたよ」と伝えることができたが、高校生になると、今年一年を振り返って「何かコレを頑張ったと誇れるものがない」と感じることも多くなり、私はなかなか答えられなかった。一年の節目で聞かれることなので、自分をカッコよく見せたい、この一年での「結果」を示したいことばかり考えていた。サボっていたわけではないけれど、特に秀でるものがない。何かスポーツで頑張って勝ったとか、何かで表彰されたこともない。勉強は、やることはやるがそこまで光るものもない。自分の力はこのくらいだしと思う一方で、頑張っていないこともないと意地を張る自分がいる。カッコつけたい私は「まぁまぁちゃう」と父に伝えた。案の定、父には「まぁまぁって、何や。文章で言え」と言われ、自分で自分を窮地に追い込んでしまった。父は「一年最後だから、できたことばかりを聞きたいのではなく、できなかったことを振り返り、次はできるようにするということを言ってほしかった」と言われた。そんな思いがあるのなら、最初から言ってくれていたら答えやすかったのにと思いつつ、それを口に出すとまた追い込まれるので、心の中にぐっと抑えた。それでも気がかかりなのは「次はできるようにする」ということで、今はできていないけれど、今後はできるようにならなければならない。大きいことも言えないし、ちょっと頑張ればできることにしておかないといけないなと思い、「朝、お母さんに起こされなくても自分で起きるようにする」と答えた。高校生の頃の私は決して無理すぎることは言わなかった。ましてや、勉強での目標なんて言わなかった。高校

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。 それは彼が「見」ないで眺めるからです。

今週の一週一言 10月31日~11月6日 凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。 それは彼が「見」ないで眺めるからです。 オーギュスト・ロダン オーギュスト・ロダン   1840 年~ 1917 年。フランスの彫刻家。 19 世紀を代表する彫刻家とされ、「近代彫刻の父」とも称される。ほとんど独学で彫刻を習得したことで知られている。 【 如是我聞 】  オーギュスト・ロダンと言われて,ハァ?と思う人もいるかもしれないが,「考える人」と言われて知らない人はいないだろう。でも , あれも単体でつくられたのではなく「地獄の門」という未完の作品の一部だ。「地獄の門」は未完で写真しか見たことがないが , 見る限りすごい迫力を感じる。その門の上の方にちょこんといるのが「考える人」なのだ。地獄を見て私も考えた,ということだろうか。  そのロダンだが,美術の専門教育を受ける機会もなく独学で彫刻を習得したらしい。そうなったのは,エコール・ボザールという美術学校に2浪(3回受験)しても受からず , まったく相手にされなかったからで , 結局職人として働きながら技術を磨いた彼は学校 ( アカデミズム ) というものを嫌悪するようになる。もちろん技術の自信も身についてのことだろう。 ( この話 , 個人的には大学と縁がなかった牧野富太郎を思い出す。牧野の弟子の講演を聴いたことがあるが,大学というものへの嫌悪感をあからさまにしていた。)その間,将来の伴侶となる女性とも出会って職人としてまじめに働くが生活が苦しくなる。彫刻もあきらめそうになった 35 歳に,奥さんと訪れたイタリアでミケランジェロの彫刻を見て目ウロコだったそうで,故郷に戻り青銅の彫像に再び取り組んだ。アカデミズムへの嫌悪感も払拭されたらしい。あれだけ有名な彫刻家にしてこれだけ曲折した苦悩の人生があった。  さて、今回の言葉にある,「眺める」と「見る」ってなんだろうな,と思う。私個人は自然科学出身なので , まずは眺めることから始める癖がついている。でもロダンはきっと違うだろう。中学校で習う see と look の違い?, hear と listen の違い? そんな甘いことなんだろうか。「考える人」を思い出してほしい。あんな風に考え

If one does not know to which port one is sailing, no wind is favorable.

今週の一週一言 9月26日~10月2日 If one does not know to which port one is sailing, no wind is favorable. (もしどの港に向かって進んでいるのか分からなければ、好ましい風などない) セネカ ルキウス・アンナエウス・セネカ  紀元前 1 年頃~ 65 年。ローマ帝政初期の政治家であり、ストア派の哲学者。第 5 代ローマ皇帝ネロの幼少期の家庭教師としても知られる。 【 如是我聞 】  祖母がホームでしゃがんでいたので、上着をかけてあげたら、青いかけらになってはじけ飛び、たくさんのかけらはすぐそばの茂みの下にもぐりこんでいった。そのたくさんのかけらは、祖母の粘り、エネルギーの大きさ、評価を求めない潔さ、苦労話を言わないことの偉大さ、そのもので、塊みたいにぐわっと迫ってきたのだった。  場所は、海の中。  という夢をみて目覚める。少し、だるい。海の中にいたからだろうか。  夢は毎日見るが、祖母が出てきたことは今までなかった。だからこそしばらくぼんやりする。  少しずつ目覚めてきて、自身のセンサーが発動し、すぐさま祖母に会いに行かなければと思い、実家に電話をする。  「昨日、会いに行ったけど、いつもと変わらなかったよ。平日に無理に帰って来る必要はないよ。」と母に言われ、行くのはやめた。  その日の晩に祖母は亡くなった。  死は恋愛の別れといっしょで、ああしていればこうしていればが必ずあるし、しばらくは頭がそのことだけでいっぱいで、いつも自分のトーンを薄暗く支配している。先週の今頃はまだいた、先月の今頃は会っていた、そんな気持ちでしかカレンダーを見ることができないのも似ている。あの時に戻れるならなんでもするのにな、と思うところも似ている。  普段、私はあまり揺れない。誰が作ったのかも分からない規定のルールに沿うのではなく、自分の信じる道を自分で決めて歩いていくタイプ ― だと自負しているにも関わらず、突然とんでもなくコンサバな自分が顔を出すことがある。つまり、「より多くの人が右を選んでいるのだから、やはり自分も右に行くほうが安全なのではないか」という考えに支配されそうになる。ただ、「そ

世の中は美しい。それを見る目を持っていればね。

今週の一週一言 9月5日~9月11日 世の中は美しい。それを見る目を持っていればね。 聖メリーの鐘 聖メリーの鐘   1945 年に公開されたアメリカ映画。経営難に陥っている「聖メリー教会」に赴任してきた司祭が、教会とその付属学校を再建するまでを描く。 【 如是我聞 】 「世の中は美しい」、たぶんそうであると思う。理由は、普通に生活をしているほとんどの場合、「不便で、とてもじゃないけど、生活できない!」とはならないからだ。学校でも、レストランでも、コンビニでも、みんな大好き東京○○ランドでも、人々は働き、工夫を重ね、私たちは豊かな生活を享受している。角度を少しだけ変えて世の中を見渡せば、私たちの生活の一つ一つに、人々の知恵や努力があり、世の中は真に整然と回っていることが分かる。そう、「世の中は美しい!」のである。 そんなことは誰でも分かっている。分かっちゃいるけど、どうしても「世の中は美しい」と思えない時がある。それはつまり、自分の調子が悪い時である。怪我をしたり、病気になったり、誰かに怒られたり、予定がくるってしまったり、人間関係が上手くいかなかったり、 etc …。世の中自体はさほど大きく変わっていないのに、暗く、「もう自分の人生おしまいだ!」、なんて思ってしまう時がある。そう、私たち一人一人は、きっと「心のフィルター」を通して、世の中を見ているのだと思う。だから、この「心のフィルター」がクリーンな時(調子の良い時)は、世の中が美しく見え、「心のフィルター」が汚れてしまっている時(調子の悪い時)は、世の中がくすんで見えてしまう。そして、やっかいなことに、この「心のフィルター」は非常に汚れやすいので、きめ細やかなお手入れをしなければいけないようだ。 注意 :大変申し訳ありませんが、「心のフィルター」に全自動クリーニングシステムは搭載されておりません。各自での定期的なクリーニングをお願い致します。「心のフィルター」のお手入れの時期、方法については各自において異なりますので、ご了承下さい。また、「心のフィルター」の交換につきましては致しかねます。 「世の中 自体 は美しい」、たぶんそうなんだろう。こんなにたくさんの人間が、何百年、何千年と命をつなぎ、よりよい世界を作りたいと望んできたわけであるか

明日の目的のために今日を生きているのではない。 今日が全部だ。 安田理深

今週の一週一言 8月29日~ 9月4日 明日の目的のために今日を生きているのではない。 今日が全部だ。 安田理深 安田里深( 1900- 1982 ) 真宗大谷派の僧侶であり、仏教学者。鳥取県出身。金子大栄の著作を読んだことが契機となり、大谷大学へ入学。のち、大谷大学の教授となる。 【如是我聞 】 私が大学生だった頃、誰かに殺されたい妄想を持っていた。理由は、自分の未来を感じ取れず面 倒な未来を見たくない、というピーターパンシンドロームみたいな馬鹿馬鹿しい妄想だったと思う。 しかし、自分から命を絶つ勇気もないあたりが、しょうもなすぎて恥ずかしい。 たしか、大学に入るまでは、父の影響もあって教員志望を明確に持っていた。大学に入ってしまうと、その自由さ故に、ヌルい私は、そんな思いもすっかりと消え、社会人以降の未来なんて考え たくもないと、ろくに勉強もせずモラトリアムを存分に無駄に過ごした。夜更かしして、酒飲んで、 ゲームして、友だちと遊んで …… とまぁ、だらだらと。無駄な時間は私にとっては非常に快適で、こんな楽しい時間がずっと続いてほしいと本気で思っていたのだ。 とはいえ、いつまでもそういうわけにはいかず。周りが卒業や卒業後取り組んでいく中、私もこの時間の終わりを意識しはじめた。そうした外圧とさまざまな巡り合わせもあって、なんとか卒業できてしまい、そして、社会人になってしまったのである。 そんな感じで仕事を始めた私なので、とにかく周りと比較して自分のレベルが低かった。本当に何もできないダメダメな教員だったと思う。反対に皆周囲は優秀でかなり焦った。焦るのが遅すぎるけど。そりゃサボってきた私と比較すれば当然なのだが。しっかりと明日の目的のために歩んできた人との差だなと、そのときは思った。 そこからは、教員としてスキルアップしなければ、という思いで努力してきたつもりだ。なんとか、やれているのだろうか。どれだけ他の人に追いつけたかはわからないし、グータラしてた経験が何か教育現場で活かせているのか、どうなのか。 自分のダラダラと「今日だけを楽しく」と考えていた学生時代を反省して、「明日の目的のため に」頑張るかが大事、と思っていた。今考え直してみるとその意識の仕方はたぶん違っていて 、「今 という一日一日を大切に」することが大事なのではなかろうか。今

我が目にて 月を眺むと 思うなよ 月の光で 月を眺むる

今週の一週一言                                   6 月 27 日~ 7 月 3 日   我が目にて 月を眺むと 思うなよ 月の光で 月を眺むる                          源空                                    源空・・・ 1,133 年~ 1,212 年  平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧である。はじめ山門で天台宗の教学を学び、承安 5 年、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を称えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、のちに浄土宗の開祖と仰がれた。親鸞は終生師と仰ぎ、「真宗興隆の大祖」と呼ぶ。法然は房号で、諱は源空、幼名を勢至丸、通称は黒谷上人、吉水上人とも。   【如是我聞】   法然上人の月の和歌としては、「月かげの いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ」が有名である。現在、浄土宗の「宗歌」ともなっている。以前、この一週一言にも登場したと記憶している。今回の「我が目にて」の和歌は、法然上人の作とは確定されていないようだ。私もそのように感じる。おそらくは「月かげ」の和歌に着想を得た、後世の念仏者が作ったものではないか。ただ、そうであるにせよ、上人の仏教観を見事に言い当てたものだと感服する。我々は己の力で何事かをなし遂げたいと願ってやまない。何ものかが成就したとき、自らの爪痕を探すのだ。そこに人間の焦りや傲りが生まれる。 そんなどうしようもない人間業は、あまりに重すぎる故に、ちょっと脇へ置こう。それよりも興味深いのは「月」ではないか。古来、月に心惹かれてやまないのも我々人間である。 月と太陽。陰と陽、全知全能にして生命の根源が太陽であるならば、月は死、までもいかぬにせよ、弱さやかげり、柔らかさ優しさを象徴しているように感じられまいか。昨今大騒動となった「スーパームーン」は、だからあまりに頓珍漢である。 朝ぼらけ 有り明けの月とみるまでに 吉野の里に ふれる白雪 「有り明けの月」はもの悲しげで趣深い。輝きを失っていく月は、地平線に沈むまで全力で熱と光を放射し続ける太陽に比して、なんと気高いものか。月は眺められようが、太陽は見た者の目を潰す

人生はロールプレイング

今週の一週一言                                   6月 20 日~6月 26 日 人生はロールプレイング 堀井 雄二 堀井 雄二( 1954 ~)  「ドラゴンクエスト」シリーズの生みの親。 【如是我聞】  「模試はゲームだ。経験値 ( 勉強 ) を積むことで目標をクリアしやすくなるし、全国ランキングもやりがいがあって楽しい。」高校生の私にこう言い放った、ちょっと変な数学の先生がいた。そんな風に言われたって模試を楽しいなんて感じられるはずがない、と思ったが、案外これが私にはまった。装備を整えれば強くなれるように、英単語に取り組み語彙力を補強すれば点数は上がった。強敵に何度も挑めば攻撃パターンが読めてくるように、反復して練習することで数学の問題に対して解法の選択肢が浮かび上がるようになってきた。嘘みたいな本当の話だが、あの時に勉強するのを楽しいと感じさせてくれた先生のおかげで今の自分があるのだろうと思う。 そんな風に人生も、強敵に立ち向かう勇者のような気持ちで捉えれば楽しいものなのだろうか。これから待ち受ける多くの困難に、私は挑戦していけるのだろうか。…まぁ、堀井雄二氏が言うのであれば間違いはないような気がする。堀井氏はこれまでも「従来のゲームの当たり前」に果敢に挑み、道を切り開いてきた人物である。これまでのドラゴンクエストの歩みを語る堀井氏は、なんだかとても楽しそうだ。自身の人生を全力でプレイしているからこそ、楽しいのだろう。 なら私も、私の人生に果敢に挑んでみよう。しんどくなった時には一歩引いて、ゲームの中の勇者である私を見つめてみることにしよう。自分のエンディングを楽しみに、これからの様々なイベントと向き合っていきたい。   (追記)本題とは少し話はずれるが、昨年、尊敬する大好きな人が一人、この世を去られた。ドラゴンクエストの音楽を手掛けたすぎやまこういち氏である。元々ドラゴンクエストシリーズの作品をプレイしていた私が、本格的にその音楽に目を向けコンサートにも足を運ぶようになったのは大学生の時だった。すぎやま先生の表情豊かな作品とその穏やかな人柄に惹かれ、私のスマートフォンの待ち受け画面はずっと、すぎやまこういちと堀井雄二のツーショットだった。先

何も後悔することがなければ、 人生はとても空虚なものになるだろう

今週の一週一言                                   6月6日~6月 12 日 何も後悔することがなければ、 人生はとても空虚なものになるだろう フィンセント・ファン・ゴッホ フィンセント・ファン・ゴッホ( 1853 - 1890 ) オランダのポスト印象派の画家。その壮絶な人生と情熱から「炎の画家」と呼ばれる。 1888 年から 1890 年には花瓶に挿された向日葵を7つ描き、そのうち6つが現存している。 【如是我聞】  休日のうちの姉妹。5歳の長女のことが大好きな1歳の次女は、「ねぇねー♪」とほっぺを付けてギューッと愛情表現をする。ギューッを「じゅーっ」と言うところもまた可愛い。長女も妹思いでとても優しい。リカちゃんとアンパンマンをそれぞれ手に持ち、ごっこ遊びをするのが最近の2人のブームである。私はその間に昼食のお皿を洗い、さて紅茶でも…と椅子に座るのだが。ここでいつも不穏なやり取りが聞こえてくる。「貸してー」「いややー」、「ねぇ貸してよ!」「いや!いや、いやぁぁぁあああー!!」幸せな時間は長く続かない。リカちゃんのお買い物カートの取り合いだ。長女の肩を噛もうとする次女を抱き上げるが、今度は長女が床に突っ伏して泣く。カオス。泣き疲れた2人が寝たあと、私はティーパックを入れたままの渋く冷めた紅茶を飲む気にもなれず、薄暗い部屋で録り溜めたドラマを無音(字幕)で見る。  いや、私の人生が空虚だとか、そういうことではない。確かにショッピングに行ったり、友人とお茶をしたりしたいときもあるが、これは自分の選んだ生き方である。それよりも、娘たちのやり取りを見ていると、私自身が色々と考えさせられることがあるように思う。 昼寝から起きると、長女は「さっきはごめんね」とお気に入りのおもちゃを貸す。次女は何があったか忘れているようだが、嬉しそうだ。「悪いことをしてしまったな」と反省している長女を見て、日々素直に反省できていない自分を思う。 幼い子どもでも学生でも立派な大人でも、気に入らないことがあると、無視したり意地悪をしたり、時には暴力をふるうことがある。上手くいかない、思い通りにいかないということに、私たちは悩み、時に間違ったことをしてしまう。誰かに注意されると

会議は踊る されど会議は進まず

今週の一週一言                                   5月30日~6月5日 会議は踊る されど会議は進まず シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール( 1754 ~ 1838 ) 名門貴族・聖職者出身のフランスの政治家。外相としてウィーン会議の全権となった。各国の利害対立を利用して、正統主義の原則を提唱し、フランスの戦争責任をたくみに回避した。 【如是我聞】   フランス革命 後の国境と主権、国際秩序の回復のため、ヨーロッパ各国の首脳がホスト国オーストリアに集った。ウィーン会議である。皇帝や王、貴族が主体の会議だったため、連日華麗な舞踏会が開かれ、全体会議は1回も開催されなかったという。そこで「会議は踊る、されど会議は進まず」と揶揄された。 世界史の資料集には左の風刺画がよく登場する。真ん中の三人は滑稽に描かれているが、この三人(左からオーストリア皇帝フランツ1世、ロシア皇帝アレクサンドル1世、プロイセン王フリードリヒ=ヴィルヘルム3世)の共通点は会議で領土の拡大を認められた皇帝たち。それで躍り上がって喜びを表しているのだろう。一番左に描かれ、壁にもたれながらさめた目で彼らを眺めているのがフランス全権で貴族のタレーラン。彼の立場は微妙で、踊っている場合ではなかった。ヨーロッパを大混乱に陥れた当事国としての責任を追及され、領土の割譲や多額の賠償金を要求される可能性が大きかったからである。 他国に多大な損害を与えたフランスはその責任を取るべきだという主張に対し、タレーランがフランスを守るために持ち出した理論を「正統主義」という。フランス革命以前のヨーロッパの姿が「正統」であり、領土や主権のすべてを革命前の状態に戻そうというものであった。フランスの領土は減らさないし、賠償金も払わない。なぜなら「ブルボン朝も被害者で、悪いのは革命である」という理屈である。確かに革命によって国王夫妻は処刑され(ちなみに王妃はマリ=アントワネット)、フランス貴族は特権を失い、土地や財産を奪われた。 結果的に各国の代表はタレーランの「

この世のあらゆる事象の中で言葉で言い尽くせるものが一体どれほどあろうか

今週の一週一言                                   5 月 16 日~ 5 月 22 日 この世のあらゆる事象の中で 言葉で言い尽くせるものが一体どれほどあろうか バガボンド  胤栄 バガボンド…井上雄彦による漫画作品。現在休載中。 【如是我聞】 五月。桜の花芽が膨らみ、綻んで、満開を迎え、いつ散るだろうと気もそぞろな時期も終わって、新緑が輝く季節となりました。毎朝通るバス停の前にツバメの巣があるのですが、その雛たちも着実に成長し、ひとり立ちの日が近づいているのが分かります。四季の絵巻がゆったりと、次の章へと進められていくのを、今年も眺めています。  高校生だった頃、自然の美しさに対して無関心であったのを記憶しています。何かもっと別のことに気をとられていたうえ、巡り巡って必ず訪れる四季の光景は、当たり前のものとして、目を驚かせませんでした。しかし、当たり前のことが当たり前ではないという事実や、すべての物事の移ろいに気づき始めると同時に、小径でふと出遭う沈丁花の香りや、鶯の初音、闇に舞う蛍、流れに揺蕩う鴨のつがい、晩秋の静かな虫の声、雪を頂いてしなだれる南天の実―いろいろなものが、鮮やかさを得て目に映るようになりました。美しさに感動し、去って行く時間をかなしみ、次の季節への憧れを抱いたりしているわけですが、そうした感情の底に潜む一つの感覚があります。自然は雄大なサイクルを形作っているけれども、自分はその循環から切り離されていること――目の前の美しい自然が、遠いものであることを感じています。  植物を育てたことがある方は、きっと思い起こしてくださると思うのですが、水をやり忘れてうなだれてしまった鉢植えの草花に、慌てて水をやってしばらくすると、倒れていた草が力を取り戻し、天に向かって勢いよく伸びきります。その復活を目撃した時の驚きは、ちょっと特別なものです。ものも言わず、我々のように動き回りもしない植物の中に、確かに宿っている生命。シンプル且つ深遠な何かを見せられたような気がしてはっとしますが、その驚きも入り口的なものであって、命の何たるかについて、私は片鱗も捉えられていないのかもしれない。 人間は複雑な言葉を操ることのできる特異な存在だと言われます。しかし、陸で