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人間は、 自分が幸福であることを知らないから不幸なのである。

今週の一週一言                                   11 月 22 日~ 11 月 29 日 人間は、 自分が幸福であることを知らないから不幸なのである。                ドストエフスキー フョードル・ドストエフスキー( 1821-1881 )  ロシアの小説家・思想家。代表作に『罪と罰』や『白痴』・『カラマーゾフの兄弟』などがある。アインシュタインやフロイトなど、文学者以外からの評価も非常に高い。 【如是我聞】  自分がしあわせ(幸福)かどうかというのは、結局のところ自分の気持ち次第だなあと思う。そういう意味でドストエフスキーのことばはおっしゃるとおりである。ただ、言いまわしについては引っかかるものがある。あくまで日本語訳としてではあるが、おおむね、ドストエフスキーが今週の一週一言のような言い方をしていたのだとすると「人間は不幸なのだ」という結論づけをしているように感じる。はたして人間は不幸なのだろうか。むしろ「人間は自分が幸福であることを知ったとき、幸福になる」といったほうが良いのではないだろうかと私は考える。  ほとんど同一の内容を言っているようであっても、あるいはまったく同一の内容を言っていても、その受けとめ方や伝わり方、個々が感じる印象が異なってくる場合は多い。ともすれば、同じことを言っているようでいて違う内容を説明しているということも起こりうる。  たとえば「Xは『5』を除くすべての実数である」というのと「Xは5ではない」というのは同じことだろうか。「虚数」を含むかどうかによっても変わってくるにせよ、後者の言い方は説明として不十分ではないだろうか。  また『鬼滅の刃』に出てくる「吾妻善逸」は、しばしば「肝心なとき以外には役に立たない」と言われるが、彼を「肝心なときには役に立つ」と評しても良いのではないだろうか。前者の言い方では「普段、役立たず」というディスリスペクトになるが、後者では「頼りがいのある人」というリスペクトになるだろう。  そんなことを考えていると「なあんだ、ドストエフスキーも同じ人間。見方によっては、彼は自分のなかの中学2年生を引きずっているだけなのかもしれないね」といった、ある種、温かい気持ちで彼のことばを

当たり前の事の中に ただごとでない幸せがある

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何としても、人になおされ候ふやうに 心中を持つべし  蓮如

今週の一週一言                                   5月31日~6月6日 何としても、人になおされ候ふやうに               心中を持つべし   蓮如                                    蓮如( 1415-1499 )   室町時代の浄土真宗の僧侶。本願寺八代。衰退の極みにあった本願寺を再興し現在の本願寺教団の礎を築いたことから、本願寺「中興の祖」と呼ばれる。   【如是我聞】   哲学者の鷲田清一氏のコラムを思い出した。宮原秀夫氏が大阪大学の総長だったとき、ことあるごとに「みっともないことはするな」とおっしゃっていたそうで、鷲田氏は「言葉を生業とする者として、人前の挨拶では二度と同じ話はしない」という主義を通してきたが、宮原総長の下で働くなかで、「大事なことはくり返しきちんと口にすべきこと」を学んだ。と述べておられる。「大事なことはくり返しきちんと口にすべき」。本当に大事だと思うことは何度も何度も繰り返し、口にすべきなのだ。なぜなら、必ずしも聞き手がこちらの意図をきちんと汲み取ってくれるとは限らないから。と私は思う。 今からおよそ 600 年前、念仏をともにする仲間を相手に同じことを繰り返し繰り返しおっしゃった方がおられる。蓮如上人である。その言行録ともいうべき『蓮如上人御一代記聞書』には、ひとの話を「 意巧(いぎょう)に聞く」クセがついてしまっている私たちに、それを直す方法が何度も説かれる。 「 意巧」とは、自分の勝手な解釈で人の話を聞くということである。表題の言葉はこう続く。   「何としても人に直され候ふやうに心中を持つべし。わが心中をば同行のなかへ打ちいだしておくべし。下としたる人のいふことばを用いずしてかならず腹立するなり。あさましきことなり。ただ人に直さるるやうに心中を持つべき義に候ふ」。   私たちは、常に自己中心的な存在で、あらゆる物事を自分の都合の良いようにしか捉えることができませんし、自分の価値観に合うように構成し直さなければ受け入れることができません。だからこそ、「自分とは異なった価値観や世界観の持ち主に出会う」ことが必要なのでしょう。自分の勝手な解釈で聞くというクセを直す方法、それ

朝あしたには紅顔ありて 夕ゆうべには白骨となれる身なり。

今週の一週一言                                   4 月 19 日~ 4 月 25 日 朝 ( あした ) には紅顔ありて  夕 ( ゆうべ ) には白骨となれる身なり。 蓮如                                    蓮如( 1415-1499 )   室町時代の浄土真宗の僧侶。本願寺八代門主。衰退の極みにあった本願寺を再興し現在の本願寺教団の礎を築いたことから、「中興の祖」と呼ばれる。 【如是我聞】 豪快に笑い、大袈裟なリアクションで「オオォー!」って気持ちよく叫ぶ男だった。出会いは、入学してまもない大学キャンパスだった。誰か 1 万円札を崩してくれないかなぁと歩いているところに通りかかったのが彼だった。見かけたのは初めてではない。入学式から目立っていた。ごつい。胸板厚くがっしりとした体格。サラサラヘアーに、太い眉。そしてギョロっとした目。只者ではない。一度見たら忘れられない男である。その彼がのしのしと独歩していた。少し躊躇ったが、好奇心が勝ち恐る恐る声をかけた。「オオッ、イイっすよ!」思ってもみなかったほど元気で爽やかな返答にびっくりした。 その日の夜、彼は私の下宿にいた。下宿の前で偶然出会ったのだ。今回は全く躊躇わず声をかけた。「一緒に飯を食おう!」「おおッ、いいすよ」朝まで語りガハハと笑い転げた。やめて欲しいと言ったけれど、私には常に敬語を使う。現役入学で、私より一歳年下だから。体格がいいのは、中学生から続けているラクビーのせい。地元はフカヒレの寿司がうまいんすよって教えてくれた。 私の下宿にラクビー部部員が何人かいることもあって、それからというもの彼は練習が終わったあと毎日のように立ち寄ってくれた。「オオォー!増田さん」「増田さん、それいいっすね!ガハハッ!」何かにつけ私の名前を呼んでくれる。彼に名前を呼ばれると優しい気持ちになった。 大学4年間、彼の豪快な笑い声と彼の「オオォー! 増田さん。」を身近に聞いていた。正月に京都に泊まりにきて、白味噌のお雑煮を初めて食べて「オオォー!」。凍結した真夜中の山道。私の運転する車がスリップして壁に激突しかけたときは、助手席からボリュームマックス「オオォー!マ・ス・ダさん!!」。

人間が自分のことしか考えられなくなったら それが人間としての呆けなのです

今週の一週一言                                   3 月 8 日~ 4 月 4 日 人間が自分のことしか考えられなくなったら それが人間としての呆けなのです 早川 一光                                    早川 一光( 1924-2018 )   愛知県出身。堀川病院の前身となる診療所を創設。往診や訪問看護など在宅医療に力を入れた。 【如是我聞】 あ~あ、今日はついてない日だ~!  昨日、自転車に空気を入れたところなのに、なんと帰ろうとしたら、パンクしている。このまま置いて帰ることもできないし、小雨の中、学校の近所のモータースへ持って行った。そこの主人が手際よく直してくれたので、少し遅くはなったが、なんとか自転車に乗って帰ることができた。いつもなら買い物をして帰るが、小雨も降っているし、家にあるもので夕飯済ましたらいいやと思って、家の前まで来て、なんとポケットを触った瞬間、入れたはずの財布がない~。ぎょえ~。 確か、さっきモータースで修理代を払ったし、絶対に財布を持っていたはず。いつもなら鞄に財布を戻すのだが、まあポケットでもいいかとベンチコートのポケットに確かに入れた。記憶違いかと、鞄の中をいくら探っても財布は出てこない。どうしよう。もしかしたら、帰って来た道にまだ落ちているかも。 そう思うと、また自転車にまたがって、帰って来た道をゆっくり下ばかり見ながら戻っていった。もう真っ暗で、ほとんど何も見えない。自転車のライトだけを頼りに探したが見つからない。とうとう修理をしてもらったモータースまでたどりついたが、店はもうしまっていて聞くことができない。念のために店の看板を見ながら電話をしてみたが、留守番電話だ。とりあえず近くの人に「交番ありますか?」と尋ねると「この辺りにはないよ。」と言われ、あきらめて戻ることに。ところがなんと電動自転車のパワーが0になっている。最近、充電器の減りが早いなあとは思っていたが、まさかの0パワーとは。急な坂道なのに。こいでもこいでも進まない。電動自転車は充電されていなかったら、鉄の塊だ。真っ暗な道を鉛のように重い自転車をこぎながら、悲しいやら焦りやら、「最悪や~」しか出てこない。 なんとか交番までたどり着き、詳

今日の最大の病気は、ハンセン病でも結核でもなく、自分はいてもいなくてもいい、だれもかまってくれない、みんなから見捨てられていると感ずることである。

今週の一週一言 2 月1日~2月7日 今日の最大の病気は、ハンセン病でも結核でもなく、 自分はいてもいなくてもいい、だれもかまってくれない、 みんなから見捨てられていると感ずることである。 マザ-・テレサ( 1910-1997 ) マザー・テレサ カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創設者。 1979 年にはノーベル平和賞受賞。 コルタカで始まった貧しい人々のための活動は後進の修道女たちによって全世界に広められている。 【如是我聞】  小学校 2 年生のとき、マザー・テレサのドキュメンタリー映画を観るために母に頼んで大阪の映画館に連れて行ってもらった。当時、担任であったシスターが、マザー・テレサの話に興味を持った私にチケットをくださったからである。ところがその映画は字幕版で、読めない漢字が次々と出てくる。その度に母に読み方を聞いていたところ、段々と機嫌が悪くなっていった。それでも、わからないまま進んでいく状況に焦った私は、字幕をずっと読み続けて欲しいとお願いした。ついに母は我慢の限界、「もうそれ以上声を出すんじゃないよ!」という表情で怒りを表したので、私はそこで諦めざるを得なかった。母の機嫌はなかなか直らない、映画の内容は曖昧…しょんぼりしながら電車に揺られて帰った。  そんな苦い思い出のあるマザー・テレサの言葉に久々に触れた。多くの貧しい人々、病にかかり死を待つだけの人々を見届けていたマザーが思う最大の病気は、医学的なものではない。自己肯定感を持つことができなかったり孤独感を抱くという、体は元気な人間にでも起こりうることだ。真っ先に頭によぎるのは、我が子がこの最大の病気にかかりはしないか、という不安だった。考えてみれば、自分は忙しさを理由に子どもたちの話をしっかり聞いていなかったり、あれもこれもできないといけないという勝手な価値観を押しつけてしまっていたり…生きていてくれるだけでいい存在であることは間違いないはずなのに、その想いを充分に伝えられていない現実がある。我が子が自分のことを大切な存在だと思えるようにする、それは親である私の大切な使命だ。  先日、偶然にも小学校 2 年生の長女が「お母さん、マザー・テレサって知ってる?」と聞いてきた。学校の図書館

良くて当然、あって当然、もらって当然、うまくいって当然と思っている人には、すべてが不服と不満の種になります。

今週の一週一言                           2 月1日~2月7日 良くて当然、あって当然、もらって当然、      うまくいって当然と思っている人には、          すべてが不服と不満の種になります。       曾野 綾子 曾野 綾子( 1931 年~)  作家。カトリック教徒。文化功労者。 【如是我聞】 「当然」「当たり前」というのは、人によって違いがあります。自分が「当然」と思っていても、他にとって「当然」でないこともあります。国とか地域でも違ったりします。「当然」こうしてくれるだろう、「当然」こうなるだろう … と相手に期待をしすぎると、そうならなかったときに、「なぜ、どうして」と相手に苛立ったりすることがあります。 個々の「当然」を決めているのは、個々の中の「ものさし」だと思います。高校 3 年生のとき、クラスの中でちょっとした意見のぶつかり合いがありました。たしか、合唱コンクールか体育祭の話し合いの中だったと思います。「 1 年に一度の行事なんだからちゃんとやるべき」という気持ちと、「行事より優先したいことがある」という気持ちをどう配分するかでぶつかりました。片方の気持ちを優先すれば、もう片方を優先したい人が我慢することになります。 15 人という少人数のクラスでしたが、それぞれ 15 とおりの思いがあり、皆がただ、心の中でもやもやしていたと思います。クラスの空気が非常に重く、しばらく着地点が見出せずに過ぎていきました。「落としどころなんて見つからない、この嫌な空気のまま中途半端で当日を迎えるんだ」と私は内心思っていました。結局、半ば諦めも含んだかたちで準備が進んだように記憶していますが、そんな中で担任の先生から、「人によって当たり前は違う。自分の『ものさし』だけで物事を見て、気持ちを押しつけたり不満を言ったりするのはやめよう。」といった話が全員にされました。この「ものさし」という言葉が、今でも私の中に特に印象に残っています。 人と生活していく中で、私たちは、自身の「ものさし」と照らし合わせて、だいたい合っていればよしとする。しかし自分の「ものさし」に合わなかった時、自分の「当たり前」を押し通そうとすると、相手にとっても「当然」だろうと思い

汝自らを知れ そして汝自分であれ

今週の一週一言 12 月7日~1月3日 汝自らを知れ そして汝自分であれ 西光万吉 西光万吉( 1895-1970 ) 戦前の部落解放・社会運動家。全国水平社設立の中心的人物で、水平社旗の意匠考案および水平社宣言の起草者として知られる。 【如是我聞】 一年とちょっと前に「身の丈発言」により、長らく教育界を混乱に陥れた大学入試改革は、急速に収束に向かった。まだまだ混乱の渦中だが、それとは別の禍も加わって、すっかり色あせた感がある。多くの非難を呼んだ発言であったが、日本で一番田舎と言われる土地の出身者であった私からすれば、「入試なんてそんなもんだろ」という感想に過ぎなかった。  この世界に差別はある。様々な差別が取りざたされた一年だったが、もっと根源的な差別だ。スタート地点が明らかに違う。貧乏よりは金持ちの方がいいに決まっている。ブサメンよりはイケメンの方がいいに決まっている。ゴールに向かって、「ヨーイ・ドン」でスタートするが、スタート時期も違えば、スタート地点まで違うのがこの世の中だろう。理不尽この上ないが、しょうがない。 何度か身の程を知った一年だった。それは、自分があまりに無力で無能だと思い知ったことがあったからだ。なんだか一気に年を取った。  あなたはまだこれからの人なのだからと、優しく微笑みながらおっしゃって下さる方がいる。困惑した笑みで何か返そうとするが、返す言葉が見つからない。心の中では、いやいや僕はもうこれまでの人ですよと、再び身の程を思い知る。  身の程を知ってしまうと、これが自分の力だと分かってしまう。力の入れ所と抜きどころも分かってしまう。上手に流れに身を任せることを覚えてしまう。そして、身の程を知らない若者たちを、上から目線で笑ってしまう。身の程知らずにも夢や希望を語る若者が、滑稽に見えて仕方がない。   いやいや、違うって!身の程を知らないのは若いってことだろ。身の程を知れば知るほど、人間は年を取っていく。自分はこれだけの人間で、これだけのことしかできないから、それ以上のことはやらないって決めた時から、人間は年を取っていく。まだまだこれからですよと、私に語りかけてくれたのは、身の程を知るには、まだ早いでしょうってことだろ。  なんとなく分かっちゃいるん

どうすれば面白くなるのか 自分が変わることです

今週の一週一言                                   11 月30日~12月6日   どうすれば面白くなるのか 自分が変わることです 養老 猛司 養老 猛司 (1937 ~ )  解剖学者。東京大学名誉教授。『バカの壁』はベストセラーとなり、他にも『唯脳論』、『身体の文学史』など著書多数。 【如是我聞】  医者は医者でもガネ医者です。  お笑いの好きな神・ガネーシャが、再び降臨した。累計400万部のベストセラー『夢をかなえるゾウ』の4作品目が発売されたのである。自己中心的な、あるいは自己中心的に見えるその発言や行動の裏に、生きていく指針が見えたり見えなかったり。単純な自己啓発本とは違い「おもしろエッセイ」の味わいで読みすすめられる作品だ。  なるほどガネーシャは神様である。ゾウのような外見にもかかわらず、空中に浮かぶこともできれば、様々な姿に変身することができる。しかし、ガネーシャの教えはどこかに書いてあるようなものばかりであり、本人もそれは何度も相手に伝えている。そういう意味では、神様といっても「願いごとをかなえてくれる」存在とはいえない。  ではなぜ、ガネーシャが「夢をかなえるゾウ」といえるのか。それは、ガネーシャが指南をしている相手が、その教えを実行していくからに他ならない。たとえばガネーシャは「靴を磨け」という。たしかに靴は自分の行動を支えてくれるものだし、それに感謝をこめて磨くことも大切である。そういうところから、自分が一日、どのように行動したかをふり返るきっかけにもなるだろう。靴を磨くことで自分自身を労わることにもつながるかもしれない。靴磨きは、丁寧にやっていけば時間を取られるものだが、汚れを落としてふいておくぐらいなら、ものの数分でできる。やらない手はない。このようなことをくり返し、主人公は成長を遂げていくのである。  と、ここまで考えておいてやらない自分がいる。ただただ面倒だから。だが、そこを思い切って「えいやっ!」と動けば、意外に面白がる自分とも出会える。手間だと思うことが楽だと思えることもある。まずは自分ができそうなことから始めようか、と考える。そして私は「寝る前の10分でも読書をしよう」などと再びガネーシャの話の続きに目を

出遇うということの喜びを『報恩』という

今週の一週一言 11 月 16 日~ 11 月 22 日 出遇うということの喜びを『報恩』という 安藤傳融 安藤傳融…真宗大谷派の僧侶。 【如是我聞】 うぐいすが高らかに鳴いている。  毎年うぐいすのさえずりは聞こえてくるが、今年のうぐいすは、ひときわ声がいい。  例年のうぐいすが、「ホーホケキョ」と鳴くとしたら、今年のは「ルルルルルルルルルルル、ホーーーーーーッホケキョッ、ホーーーーーーッホケキョッ」と、長々とつづく艶のある鳴き声である。おまけに、三月の初鳴きから、五月初旬の今までずっと鳴いている。家の中のどんな音―洗濯機のお知らせやお風呂が沸きましたの音や家人の声やテレビの音―よりも、高らかである。  やはり、今年は生物界のもろもろが、活動的になっているのか。  生物界のもろもろに追随せんと、わたしも朝早くから活動を開始。  人の少ない五時ごろに散歩に出、帰ったら掃除をし、常備菜をつくり、仕事をし、早い昼を食べたらまた仕事をし、お腹がすくころに夕飯を食べ…、という生活をしているうちに、どんどん早寝早起きになってゆく。この頃は、午後八時に就寝、午前二時に起床、というペースになっていた。  午前五時くらいに起床、ということならば、少しいばった気持ちで人さまに言えるのだけれど、午前二時、というのは、よくわからないけれど、なんだか人聞きが悪いような気がして、誰にも打ち明けられずにいる。  …と思っていたのだが、新聞を読んでいたら、「平安の貴族は、夏ならば午前三時くらいに起床し、夜明けと共に宮中に上がっていた」と書いてあった。  なるほど、わたしは今、平安貴族と同じ生活をしているのか!  早速家族に、自慢する。「はぁ、そぉ」という反応しか得られないが、貴族なので、反応の良し悪しなどにはこだわらないのである。 新型コロナが日本にもしだいに広がりつつあり、外出の自粛が要請される毎日であった。  スマートフォンの歩数計を眺めると、一日に歩いた歩数が、五歩、二十二歩、百八歩、十六歩、というような日々が続いているので、家族全員で朝、犬の散歩に出ることを提案した。  そんないつも通りの朝、犬「ラオウ」と娘が目の前で事故に遭った。瞳は凍り付き、目の前が一瞬ぐんと遠ざかった。胸の肉