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人の交わりにも季節あり

今週の一週一言                10 月 27 日~ 11 月 2 日 人の交わりにも季節あり 南方熊楠( 1867 ~ 1941 ) ・・・和歌山生まれの植物学、民俗学、博物学者。 18 言語を解し「歩く百科事典」と呼ばれ、菌類の研究では新しく 70 種を発見した。自然保護の観点から神社合祀令に反対運動を起こし、日本における“エコロジー”の先駆ともなった。 【如是我聞】   私が小さかった頃、まだ、自分がそうであるなら他人もまたそうであるのだと思っていた頃、私は母に尋ねたことがある。「どうして同じクラスに誰がいたのか覚えてないの」と。小学生だった私は、当時のクラスはもちろん、何年生で誰と一緒だったか、全てはっきり覚えていた。なぜならクラス全員が“友だち”だったから。母は困った顔で笑っていた。  最近、ふと心配になることがある。仕事を始めてから、友人に会うことがめっきり減ってしまった。忙しいから、日が合わないから、休日は少しでも休みたいから。なんだかんだと理由をつけて断ることも多く、連絡の返信も途絶えがちである。友人に会いたくないわけではない。が、すべての友人と遊ぶ気力もない。だから会う人、会わない人とだんだん線引きがなされていく。このままではいつか、せっかくの友人がいなくなるのではないかと、ぼんやり不安に思うのである。 その昔、南方熊楠は、留学先のロンドンで亡命中の孫文に出会った。意気投合とはこのことで、「三日にあけず」頻繁に会い、議論を交わした。孫文は熊楠のことを「知音」(親友)と記し、熊楠の帰国後は、和歌山で再会もしている。その後、孫文は中国で革命を成功させたが、その来日の際、熊楠はあえて面会しなかった。「小生孫氏に対し何一つ不都合・不義理なことありしにあらず、ただ人の交わりにも季節あり」、熊楠はこう記したという。 人の縁とは不思議なもので、どこに転がっているか、どれが続くか全く分からない。高校の頃、“友だち”は私の中で少なくとも 3 種類あった。休み時間を一緒に過ごすグループ、放課後だけ教室に集まるメンバー、それからクラスは違えど 3 年間の大親友。現在も頻繁に会うのは放課後メンバーで、「不思議だね、私たちが続くなんて。休み時間に一緒にいることなんて一度もなかったのに」と会うた

私たちはいわば二回この世に生まれる  一回目は存在するために 二回目は生きるために

今週の一週一言                  10 月14日~10月20日   私たちはいわば二回この世に生まれる      一回目は存在するために 二回目は生きるために J . J . ルソー( 1712 ~ 1778 ):ジュネーブ共和国生まれ。哲学者、教育哲学者、作家、作曲家と、フランスにおいて幅広く活躍。『エミール』など、著書多数。 【如是我聞】   ルソーの古典的な教育論、『エミール』の中の言葉だ。幼年期、少年期を終えて思春期の教育がどうあるべきかを記した第四編の最初におかれている。岩波文庫の今野氏の訳ではこの後、「はじめは人間に生まれ、つぎには男性か女性に生まれる」と続くが、ルソーの原文では、「 l ’ une pour l ’ espece, et l ’ autre pour le sexe. (一回目は人間という種として、もう一回は男性女性という性を持つ者として)」と書かれている。人は、思春期になってはじめて、それまではただ存在するだけでどう生きるかを考えもしなかったのに、情念に目覚め、第二次性徴の現れとともに体が大人になり、激しく異性を求める時期に入る。そして、この時期こそ「まさにわたしたちの教育をはじめなければならない時期だ」とルソーは主張するのだ。  ここでちょっと余談。残念ながら今から250年前を生きたルソーには、性を「ジェンダー」として捉えるという発想はなかっただろう。思春期に体が大きく変化する男性は、「嵐のような」この時期をくぐり抜けなければならないが、女性はいつまでも子供にとどまっていると考えていたようだ。なんで? まあ、そこは目をつぶって先に進もう。  では、ルソーはどんな教育をはじめなければならないというのか。「目がいきいきしてきて、他の存在をながめ、わたしたちのまわりにいる人々に興味をもちはじめ、人間はひとりで生きるようにはつくられていないことを感じはじめる。こうして人間的な愛情にたいして心がひらかれ、愛着をもつことができるようになる」という、この思春期の性本能の目覚め、伴侶を求める異性に対する欲求の発現を、「人間愛」の感情へと育てていくことだと説くのである。自分に対する愛しか知らなかった子供が異性である他者に目を向け始めたこの時期に、柔らかい感受性を利用して他者

道は近きにあり 迷える人はこれを遠きに求む

今週の一週一言                     9 月29日~10月5日 道は近きにあり 迷える人はこれを遠きに求む  清澤満之・・・ 1863 ~ 1903 ,名古屋市生まれ。本校初代校長 。宗教家、思想家、哲学者。 【如是我聞】 中国北魏の僧 曇鸞 ( どんらん ) は 深く仏教に学ばれていたが、体調を崩し、「このままでは 仏教の学びを続けられない。まずは健康だ 」 と山に入られた。その山には 陶弘景 ( とうこうけい ) という名の仙人になる道を教える師がいた。目指すのは不老長寿である。仙人というと、 霞 ( かすみ ) を食べるとか、呪術や 超能力といったもの が浮かぶかもしれないが、実際には薬学や栄養学が盛ん(この頃に漢方薬や食物の 効能の 研究が進んだと言われる)で、正しい生活習慣と運動の知識も身に着けた。 数年後、曇鸞は体調が戻り、師に認められて不老長寿の秘訣が説かれた「 仙 ( せん ) 経 ( ぎょう ) 」を与えられ、それを手に山を下りた。家に向かう途中、馬に乗った三蔵法師(=経・論・律の三蔵に明るい僧) の 流支 ( るし ) に出会い、声をかけられる。   《流支》どうしてそんなにうれしそうに歩いておられるのじゃ   《曇鸞》よくぞ聞いてくださった。私もあなたと同じ仏教に学ぶものですが、体を崩し、陶弘景先生の元で修行を積み、不老長寿の道を授かったのです。この仙経を読めるかと思うとついつい笑顔がこぼれるのです。   《流支》この馬鹿者がっ!仏教に学ぶ者がただ長生きできると喜んでおるのか。人が30年生きたとして、その30年間苦しむところを、おまえはその倍生きて、人の倍の長さを苦しむことを喜んでおる。情けない。これを読みなさい。 手渡された経典には「阿弥陀」という仏の教えが説かれていた。阿弥陀は「無量寿」とも呼ばれ、「量とは関係のない 寿 ( いのち ) 」、「量ることのできないいのち」の教えである。 自らの迷いに気付き、 その教えに目覚めた曇鸞は、せっかく手に入れた仙経を庭で焼き捨てた。一度も見ることなく ( 見てからでもよかったのになどと思うのは、私だけだろうか )。 仏教に学ぶ曇鸞にとって、道は近くにあったのだ。いや、すでにその道を歩んでいたのだ。しかし、我執というか欲望

きのふの我に飽くべし  芭蕉 

今週の一週一言                                   8月25日~8月31日 きのふの我に飽くべし        芭蕉    『俳諧無門関』蓼太より 松尾芭蕉 ・・・ 1644~1694、 俳人。伊賀上野の生まれ。のち江戸に下り,俳壇内に地盤を形成,深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風を開拓した。「おくのほそ道」の旅の体験から,不易流行の理念を確立し,以後その実践を「細み」に求め,晩年には俳諧本来の庶民性に立ち戻った「軽み」の俳風に達した。 【如是我聞】 「飽く」とは、ある辞書に「いやになって,続ける気がなくなる」と説明されている言葉です。それまでの自分に拘り続け、過去の柵に縛られるような人生を、おそらく芭蕉は認めなかったのでしょう。 人は誰しも現状に甘んじ、ついつい安楽で簡便な方法や生き様を求めてしまいます。誰しも「きのふの我」は、甘く、懐かしいものです。私たちの多くは、この居心地のよい幸せな場所を愛おしいと思い、そこにある自分の生き様に誇りすら持っていることでしょう。それは勿論素晴らしい過去には違いないのですが、あえて過去を「いやになって」あげるもう一人の自分が必要なのですね。勿論、そのためにはかなりの勇気とエネルギーが要るのですが、過去に縋ることで新たな一歩へと踏み出すことが躊躇されるとしたら、それは皆さんにとって本当に勿体無いことです。 多くの場合、過去と戦い、新たな挑戦を日々経験することは、自分の感情や感性、それに肉体までもが更新されてゆく素晴らしい体験をもたらしてくれます。目の前が大きく明るく開け、まるで脱皮したかのように再生した自分を楽しめることでしょう。私自身、何度もそういう経験をしてきました。何かを体得したような幸せな気分で、足どりも軽く街を歩いたことだってあります。 打ち勝つべきものは、周りの何かや誰かではなく、過去に埋もれた、昨日までの退屈な自分なのです。 でも、けっしてあなたの過去を否定するわけではありません。過去の体験は未来の糧であり、それをもとに明日の自分が模索される=「飽く」のであれば、そして、戦うべき敵は何かを知るのであれば、それこそが人としての本来の生き方なのでしょう。 芭蕉は、まさに打ち勝つべき敵は何かを知り、その一生涯を通して劇

想像力は知識よりもっと大切である

今週の一週一言 7月28日~8月24日 想像力は知識よりもっと大切である Imagination is more important than knowledge アルベルト・アインシュタイン ・・・ 1879~1955、ドイツ生まれ。ユダヤ人の理論物理学者。1921年ノーベル物理学賞受賞。相対性理論・光電効果の解明など、輝かしい業績を持ち、20世紀最大の物理学者とも、現代物理学の父とも呼ばれる。 【如是我聞】 同じ読みの「創造力」という言葉がある。昔、中高校生の頃にはこの言葉のほうが大切だと思い込んでいた。「想像する」という行為は、当時の夢見がちな自分への自戒をこめて、行動の伴わない一種の逃避行動であるかのように思っていた。ただぼんやりと考えているだけでは何も始まらないと。この先自分が生きていく世界のありようを理解し、いろんなものを作り上げていくのに必要なのは知識の集積とそれに基づく創造なのだと。 ジョン・レノンの「イマジン (Imagine) 」という歌を初めて聴いた(中3だったか、高1の頃だっただろうか)ときも、理想の世界を想像しようという呼びかけに共感を覚えたが、「想像するだけでは何も変わらないよな」と思っていたし、その中でジョン自身が “You may say I’m a dreamer.”( 君は僕を夢想家だというかもしれない ) と歌っているのを聞いて、「その通り」だと突っ込んでいた。 しかし、いつの頃からか、自分の学びの限界を感じた頃からだろうか、それとも教壇に立たせてもらうようになり、知識をただ詰め込もうとする生徒の姿を目にして、教えるということはただ知識を伝えるだけでは十分ではないと感じ始めた頃からだろうか、実は想像力こそが人や世界を動かす、あるいは必要なときには立ち止まらせる原動力なのではないかと思うようになった。 このアインシュタインの言葉はさらに「知識には限界があるが、想像力は世界を包み込む」 ( ,for knowledge is limited while imagination embraces the entire world.) と続く。知識は有限であり、そこからは当然限られた範囲のものしか生まれてはこない。ところが、想像力はこの世界を包み込むほどに

子供を不幸にする一番確実な方法は何か それをあなた方は知っているだろうか  それはいつでも何でも 手に入れられるようにしてやることだ

今週の一週一言 5 月26日~6月1日   子供を不幸にする一番確実な方法は何か それをあなた方は知っているだろうか   それはいつでも何でも 手に入れられるようにしてやることだ              ジャン=ジャック・ルソー( 1712 ~ 1778 ):ジュネーブ共和国生まれ。哲学者、教育哲学者、作家、作曲家と、フランスにおいて幅広く活躍。『人間不平等起源論』、『社会契約論』、『エミール』など、著書多数。 【如是我聞】  本校では今年、30名近い教育実習生を迎えている。私はその実習を、ここ大谷ではなく京都の某私学の高校でお世話になった。期間中に保護者会があり、実習生も同じ場で校長先生の話を聞いた。およそ覚えているその内容は、  保護者の皆さん、皆さんのお子さんをどうしようもない大人に仕上げたいと思われたら、それは簡単なことです。お子さんが望まれるものを全部与えてあげてください。その子の言うことを全て聞いてあげてください。この3年間で、それは見事などうしようもない大人が簡単に完成します。 といったものだった。聞いた私は一言で言うと「度肝を抜かれた」。  その後、実習生だけを集めた講義で、その校長先生は自分の子どもの話をされた。 そのお子さんは10代のときに、ストレスやら何やらで、肌と呼吸器関係に大きな困難を抱えるようになったそうだ。ところが、その子が高校を出てから、インドに行きたいと言った。心配はもちろんあったが、好きなことをさせてやろうとの思いで許されたという。半年後に手紙と写真が届いた。肌も呼吸も問題が消え、笑顔で野菜を育てている娘さんがそこにいた。  私たちは国を挙げて、住みやすい環境を整え、安心で安全で便利な社会を作ろうとしてきた。また、幸せになるための教育をしているという。本当にそうと言えるのか。教育に携わるものとして深く考えた次第です。  便利になるということは「それまで必要だった手続きが要らなくなること」だと教えられた。だから、便利になることで確実に失うものがあると。  ルソーの言葉は誰に向けて投げかけられたのか。いつの時代を生きる者に対する批判だったのか。深く考える次第です。            (宗教・英語科  乾) トップページ

高原の陸地ろくじには蓮華を生ぜず 卑湿の淤お泥でいにいまし蓮華を生ず

今週の一週一言 3 月17日~3月23日   高原の 陸地 ( ろくじ ) には 蓮華を生ぜず  卑湿の 淤 ( お ) 泥 ( でい ) に いまし蓮華を生ず                       『維摩経』・・・初期大乗経典の代表作の一つ。主人公である在家の維摩詰が大乗思想の核心を説きつつ、出家の仏弟子や菩薩たちを次々と論破していくさまが、文学性豊かに描かれている。 【如是我聞】 蓮の華は 卑湿の淤泥、じめじめとした低湿地の泥中 を住み処とします。泥を離れて蓮の華は咲くことができません。涼やかな高原の陸地では蓮の華は開かないのです。 泥の中においてはじめて華が開く。これは泥、すなわち煩悩の意義を表しているのだと思います。煩悩あればこそ人は真理を求めるということです。いや、むしろ煩悩が真理を求めしめるのかもしれません。種々の煩悩によって私たちは苦しみ、悩みますが、その苦悩が人を求道者たらしめるのであって、泥を切り捨てたら、私たちの煩悩と求道の関係がなくなってしまいます。 『維摩経』は「卑湿の淤泥のなかにあって清らかに咲く蓮華のように、世間のなかでひとり聖人君子として生きよ」と言っているわけではなく、むしろ「蓮の華を咲かせてくれるのは、実は泥なのだ」という事を教えてくれます。泥の中に生えても、泥に染まらないぞというのではなく、泥を自らのいのちとして咲く華だということです。いうなれば泥の尊さを表すのでしょう。また、そのことに気づくのも自分の力ではなく、世俗を這いずり回り、文字どおりたくさんの泥をかぶっていくなかで、「気づかされる」のでしょう。  泥のなかから 蓮が咲く  それをするのは蓮じゃない  卵のなかから 鶏が出る  それをするのは鶏じゃない  それに私は 気がついた。 それも私のせいじゃない                   「蓮と鶏」金子みすゞ (文責:宗教・社会科 山田) トップページへ  http://www.otani.ed.jp

「正義の戦い」なるものは古今東西を通じてない

今週の一週一言 3 月3日~3月9日   「正義の戦い」なるものは古今東西を通じてない                       水野広徳・・・ 1875 ~ 1945  海軍軍人・軍事評論家。日本海海戦を描いた戦記『此一戦』         を発表。退役後、軍縮運動に尽力する。愛媛県出身。 【如是我聞】  戦争を経験した人たちの声が年々私たちの耳に届かなくなってきている。それに呼応するように、耳に心地よく響く言葉が聞かれるようになってきた。「正義のための戦争」というのもそんな言葉の一つではないだろうか。しかし、実際の戦争は、「正義と正義のぶつかり合い」というような抽象的なものではない。人を殺し、町を焼き、土地を奪うという、生身の人間を傷付け、苦しめる、具体的な行為の積み重ねの上に成り立つものであり、そこにいかなる正義も存在しない、と私には思われる。そして、そのことを自身の体験を通じて私たちに伝えてくれる世代の人たちが年々高齢化して、その言葉が聞かれなくなっていく。 昨年亡くなった漫画家のやなせたかし氏もその一人だ。氏は終戦直前の中国での悲惨な戦いを経験し、また、戦争によって大切な身内を失った経験をもとに、「正義のための戦いなんてどこにもないのだ」(『アンパンマンの遺書』)という強い言葉を残したが、それとほぼ同じ言葉を今から90年近く前に書き残した人がいる。水野広徳である。元海軍大佐でありながら、日本が世界から孤立し軍国主義への道を転げ落ちるようにして進んでいく大正から昭和の始めにかけて、おのれの死を賭けて反戦平和を説き続けた軍事ジャーナリストだ。日露戦争の日本海海戦を水雷艇長として戦い功績を挙げたが、第一次世界大戦直後のヨーロッパを視察し、ドイツやフランスの都市の破壊や戦争で傷ついた市民の苦しみを目の当たりにして、それまでの軍国主義者から反戦平和主義者へと大きくその思想を変えた。そして、日米が闘えば必ず日本は敗れると警告し、語る場、書く場が与えられる限り、軍縮と国際協調を訴え続けたのだ。 言論弾圧が激しくなり、執筆者禁止リストに挙げられてその口を封じられた水野は、戦争の終結を待ち望みながら太平洋戦争の敗戦からわずか2ヶ月後にその死を迎えた。「聖戦」に命を捧げることを強いられていた時代に、「『正義の戦

人は、気のきいたことをいおうとすると、なんとなく、うそをつくことがあるものです

今週の一週一言 2 月 3 日~ 2 月 9 日  人は、気のきいたことをいおうとすると、  なんとなく、うそをつくことがあるものです           サン=テグジュペリ(『星の王子さま』より) サン=テグジュペリ( 1900 ~ 1944 ) ・・・ フランスの作家、飛行士。空をとぶことに情熱を燃やし続け、『夜間飛行』などで賞賛を博す。第二次世界大戦でフランスの解放軍に加わるが、飛行中隊長として偵察任務でコルシカ島を飛び立ってのち、行方不明となった。 【如是我聞】 先日、ニュースで流れた NHK 全国短歌大会の話題にふと目がとまった。「君はつね ゴシック体でものを言う 疲れるだろう 明日 ( あした ) は雨だ」。大賞のひとつとなったこの作品は、文章も話し方もつい強調してしまう自分のことを、他人が話しているように表現した、その巧みさが評価されたのだそうだ。人と話しているとき、自分の表面に、いや、言葉の表面に、なにかの膜を張っている気がする。「うそをつく」とまではいわないが、なにかしらを「強調」しているような気がする。この短歌を聴いて、そんな不安を抱えていた時期を思い出した。 話す相手によって、属する集団によって、私は態度を変えている。“私”の形は変わっている。それぞれの相手が、親しい親しくないとはっきり分かれるならいい。しかし、クラブの友人、学科の友人、高校の友人 … 皆、私の中では同じくらいに大好きな人たちで、大切な集団だ。どれかの中にいるのが本物の私なら、それ以外は自分を偽り、演じている?もしかして、仲がいいと思っているのはうわべだけで、心の奥底では相手を信じていない?…というかそもそも、いったいどの集まりで見せている“私”が本当の私なのだろう。自分で自分がよく分からない。 今思えば、私はよくよく暇だったのだろう、とさえ思える悩みである。ちなみにこの悩みを一蹴したのは友人の言葉であった。「歳をとるってことは、たくさんの仮面を持つようになるってこと」。だから、その場の集団によって、仮面をつけかえるのは当然。もちろん、完全に猫をかぶった偽りの自分もあるが、それは別として、ある意味、すべての仮面が素の自分なのだ、と。あれ以来、不思議と気が楽になった。私は“私”をいくつも持っている。短歌で詠

教訓はどこにでも転がっているさ あなたが見つけようとさえすれば

今週の一週一言  1 月 27 日~ 2 月 2 日 教訓はどこにでも転がっているさ あなたが見つけようとさえすれば                        ルイス・キャロル ルイス・キャロル( 1832 ~ 1898 ) ・・・ イギリスの童話作家、数学者。著作『ふしぎの国のアリス』 ( 1865 ) および『鏡の国のアリス』 ( 1872 ) は、いずれも少女アリスの奇想天外な冒険を綴った空想物語で、児童文学の傑作として世界中で愛読されている。 【如是我聞】  最近、偉人の格言や名言をまとめた本が書店で積み上げられているのをよく目にする。“ふーん”と読み流してしまうような訓戒めいたものもあれば、“ハッ”と何かに気付かされるもの、なかには、「落ち込んだときに」などとジャンル分けされているものまである。しかし、この類のものは、なにも現代にかぎり、流行っているわけではない。言葉の力とは不思議なものである。魅力的な言葉は繰り返し唱えられ、保存されていくし、フランスのモラリスト、ラ・ロシュフーコーや、アメリカのジャーナリスト、ビアスのように、みずからの言葉を 箴言 ( しんげん ) や警句として まとめあげ、世に出す場合もある。  しかし、私はふと思う。自分は、すでに誰かに生み出された言葉、そして知識としての教訓に満足してはいないだろうか。本来教訓とは、何かしら、自身の経験から生み出されるものである。他人の心を惹きつけなくともよいし、響きがよい言葉である必要もない。だが私たちは、故事成語にしろ、格言にしろ、便利な言葉を知りすぎている。もちろん、一生かけても自分で気付けないことはたくさんある。そういった部分を他人の教訓で補うのは、視野が広がる良い機会である。とはいえやはり、自身の経験から生み出された教訓ほど、自分にとって強烈なものはないだろう。他人の言葉、使い古された教訓は、なるほど私の場合にもあてはまった、昔の人はまったくいいことを言ったものだ、と感心するだけである。  たいてい人は、大失敗をしてから何かを学ぶ。高校生の頃、英語の予習は余裕をもって準備し、授業に臨んでいた。大学生になると、多忙になり、最後のページまで訳しきれないまま史料講読の授業を迎えた。肝が冷えるほど、冷やひやしながら授業を受けた。でも、