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高原の陸地ろくじには蓮華を生ぜず 卑湿の淤お泥でいにいまし蓮華を生ず

今週の一週一言 3 月17日~3月23日   高原の 陸地 ( ろくじ ) には 蓮華を生ぜず  卑湿の 淤 ( お ) 泥 ( でい ) に いまし蓮華を生ず                       『維摩経』・・・初期大乗経典の代表作の一つ。主人公である在家の維摩詰が大乗思想の核心を説きつつ、出家の仏弟子や菩薩たちを次々と論破していくさまが、文学性豊かに描かれている。 【如是我聞】 蓮の華は 卑湿の淤泥、じめじめとした低湿地の泥中 を住み処とします。泥を離れて蓮の華は咲くことができません。涼やかな高原の陸地では蓮の華は開かないのです。 泥の中においてはじめて華が開く。これは泥、すなわち煩悩の意義を表しているのだと思います。煩悩あればこそ人は真理を求めるということです。いや、むしろ煩悩が真理を求めしめるのかもしれません。種々の煩悩によって私たちは苦しみ、悩みますが、その苦悩が人を求道者たらしめるのであって、泥を切り捨てたら、私たちの煩悩と求道の関係がなくなってしまいます。 『維摩経』は「卑湿の淤泥のなかにあって清らかに咲く蓮華のように、世間のなかでひとり聖人君子として生きよ」と言っているわけではなく、むしろ「蓮の華を咲かせてくれるのは、実は泥なのだ」という事を教えてくれます。泥の中に生えても、泥に染まらないぞというのではなく、泥を自らのいのちとして咲く華だということです。いうなれば泥の尊さを表すのでしょう。また、そのことに気づくのも自分の力ではなく、世俗を這いずり回り、文字どおりたくさんの泥をかぶっていくなかで、「気づかされる」のでしょう。  泥のなかから 蓮が咲く  それをするのは蓮じゃない  卵のなかから 鶏が出る  それをするのは鶏じゃない  それに私は 気がついた。 それも私のせいじゃない                   「蓮と鶏」金子みすゞ (文責:宗教・社会科 山田) トップページへ  http://www.otani.ed.jp

「正義の戦い」なるものは古今東西を通じてない

今週の一週一言 3 月3日~3月9日   「正義の戦い」なるものは古今東西を通じてない                       水野広徳・・・ 1875 ~ 1945  海軍軍人・軍事評論家。日本海海戦を描いた戦記『此一戦』         を発表。退役後、軍縮運動に尽力する。愛媛県出身。 【如是我聞】  戦争を経験した人たちの声が年々私たちの耳に届かなくなってきている。それに呼応するように、耳に心地よく響く言葉が聞かれるようになってきた。「正義のための戦争」というのもそんな言葉の一つではないだろうか。しかし、実際の戦争は、「正義と正義のぶつかり合い」というような抽象的なものではない。人を殺し、町を焼き、土地を奪うという、生身の人間を傷付け、苦しめる、具体的な行為の積み重ねの上に成り立つものであり、そこにいかなる正義も存在しない、と私には思われる。そして、そのことを自身の体験を通じて私たちに伝えてくれる世代の人たちが年々高齢化して、その言葉が聞かれなくなっていく。 昨年亡くなった漫画家のやなせたかし氏もその一人だ。氏は終戦直前の中国での悲惨な戦いを経験し、また、戦争によって大切な身内を失った経験をもとに、「正義のための戦いなんてどこにもないのだ」(『アンパンマンの遺書』)という強い言葉を残したが、それとほぼ同じ言葉を今から90年近く前に書き残した人がいる。水野広徳である。元海軍大佐でありながら、日本が世界から孤立し軍国主義への道を転げ落ちるようにして進んでいく大正から昭和の始めにかけて、おのれの死を賭けて反戦平和を説き続けた軍事ジャーナリストだ。日露戦争の日本海海戦を水雷艇長として戦い功績を挙げたが、第一次世界大戦直後のヨーロッパを視察し、ドイツやフランスの都市の破壊や戦争で傷ついた市民の苦しみを目の当たりにして、それまでの軍国主義者から反戦平和主義者へと大きくその思想を変えた。そして、日米が闘えば必ず日本は敗れると警告し、語る場、書く場が与えられる限り、軍縮と国際協調を訴え続けたのだ。 言論弾圧が激しくなり、執筆者禁止リストに挙げられてその口を封じられた水野は、戦争の終結を待ち望みながら太平洋戦争の敗戦からわずか2ヶ月後にその死を迎えた。「聖戦」に命を捧げることを強いられていた時代に、「『正義の戦

人は、気のきいたことをいおうとすると、なんとなく、うそをつくことがあるものです

今週の一週一言 2 月 3 日~ 2 月 9 日  人は、気のきいたことをいおうとすると、  なんとなく、うそをつくことがあるものです           サン=テグジュペリ(『星の王子さま』より) サン=テグジュペリ( 1900 ~ 1944 ) ・・・ フランスの作家、飛行士。空をとぶことに情熱を燃やし続け、『夜間飛行』などで賞賛を博す。第二次世界大戦でフランスの解放軍に加わるが、飛行中隊長として偵察任務でコルシカ島を飛び立ってのち、行方不明となった。 【如是我聞】 先日、ニュースで流れた NHK 全国短歌大会の話題にふと目がとまった。「君はつね ゴシック体でものを言う 疲れるだろう 明日 ( あした ) は雨だ」。大賞のひとつとなったこの作品は、文章も話し方もつい強調してしまう自分のことを、他人が話しているように表現した、その巧みさが評価されたのだそうだ。人と話しているとき、自分の表面に、いや、言葉の表面に、なにかの膜を張っている気がする。「うそをつく」とまではいわないが、なにかしらを「強調」しているような気がする。この短歌を聴いて、そんな不安を抱えていた時期を思い出した。 話す相手によって、属する集団によって、私は態度を変えている。“私”の形は変わっている。それぞれの相手が、親しい親しくないとはっきり分かれるならいい。しかし、クラブの友人、学科の友人、高校の友人 … 皆、私の中では同じくらいに大好きな人たちで、大切な集団だ。どれかの中にいるのが本物の私なら、それ以外は自分を偽り、演じている?もしかして、仲がいいと思っているのはうわべだけで、心の奥底では相手を信じていない?…というかそもそも、いったいどの集まりで見せている“私”が本当の私なのだろう。自分で自分がよく分からない。 今思えば、私はよくよく暇だったのだろう、とさえ思える悩みである。ちなみにこの悩みを一蹴したのは友人の言葉であった。「歳をとるってことは、たくさんの仮面を持つようになるってこと」。だから、その場の集団によって、仮面をつけかえるのは当然。もちろん、完全に猫をかぶった偽りの自分もあるが、それは別として、ある意味、すべての仮面が素の自分なのだ、と。あれ以来、不思議と気が楽になった。私は“私”をいくつも持っている。短歌で詠

教訓はどこにでも転がっているさ あなたが見つけようとさえすれば

今週の一週一言  1 月 27 日~ 2 月 2 日 教訓はどこにでも転がっているさ あなたが見つけようとさえすれば                        ルイス・キャロル ルイス・キャロル( 1832 ~ 1898 ) ・・・ イギリスの童話作家、数学者。著作『ふしぎの国のアリス』 ( 1865 ) および『鏡の国のアリス』 ( 1872 ) は、いずれも少女アリスの奇想天外な冒険を綴った空想物語で、児童文学の傑作として世界中で愛読されている。 【如是我聞】  最近、偉人の格言や名言をまとめた本が書店で積み上げられているのをよく目にする。“ふーん”と読み流してしまうような訓戒めいたものもあれば、“ハッ”と何かに気付かされるもの、なかには、「落ち込んだときに」などとジャンル分けされているものまである。しかし、この類のものは、なにも現代にかぎり、流行っているわけではない。言葉の力とは不思議なものである。魅力的な言葉は繰り返し唱えられ、保存されていくし、フランスのモラリスト、ラ・ロシュフーコーや、アメリカのジャーナリスト、ビアスのように、みずからの言葉を 箴言 ( しんげん ) や警句として まとめあげ、世に出す場合もある。  しかし、私はふと思う。自分は、すでに誰かに生み出された言葉、そして知識としての教訓に満足してはいないだろうか。本来教訓とは、何かしら、自身の経験から生み出されるものである。他人の心を惹きつけなくともよいし、響きがよい言葉である必要もない。だが私たちは、故事成語にしろ、格言にしろ、便利な言葉を知りすぎている。もちろん、一生かけても自分で気付けないことはたくさんある。そういった部分を他人の教訓で補うのは、視野が広がる良い機会である。とはいえやはり、自身の経験から生み出された教訓ほど、自分にとって強烈なものはないだろう。他人の言葉、使い古された教訓は、なるほど私の場合にもあてはまった、昔の人はまったくいいことを言ったものだ、と感心するだけである。  たいてい人は、大失敗をしてから何かを学ぶ。高校生の頃、英語の予習は余裕をもって準備し、授業に臨んでいた。大学生になると、多忙になり、最後のページまで訳しきれないまま史料講読の授業を迎えた。肝が冷えるほど、冷やひやしながら授業を受けた。でも、

人間の邪悪な心を変えるより  プルトニウムの性質を変えるほうがやさしい

今週の一週一言 12月2日~12月8日     人間の邪悪な心を変えるより  プルトニウムの性質を変えるほうがやさしい アインシュタイン アルベルト・アインシュタイン ・・・ 1879~1955、ドイツ生まれ。 ユダヤ人の理論物理学者。1921年ノーベル物理学賞受賞。相対性理論・光電効果の解明など、輝かしい業績を持ち、 20世紀最大の物理学者とも、現代物理学の父とも呼ばれる。         【如是我聞】 自分の中に邪悪さを見出さない人はいまい。誰しも自分自身の邪悪さに多かれ少なかれ気付き、嘆息する。そして、それが大人になるということかもしれない。 しかし、人間の心とはおそらく、当人が自覚しているものを遙かに超えるほどの邪悪さを時に発揮するのではないか。思いもよらない 邪 ( よこしま ) さが実は「人間の心」のポテンシャルである。つまり、何らかの成り行きや状況、関係性において、突如変わってしまうものが人間の心の本性であるように思う。というか、そうでなければ説明がつかないほど惨たらしい出来事に世の中は満ちている。人間は鬼にもなればホトケにもなるということか・・・。 元素番号94Pu、プルトニウム。この名前の由来はプルート、ギリシャ神話における冥界の王。プルトニウムはもともと自然界に存在していた元素ではない。人間が人工的に作り出した元素である。自然界に存在していたウランを、互いに憎しみ合い争い合い殺し合っていた人間が、お互いを一気に大量に殺す目的で加工し生み出されたモンスターである。 モンスターの平和利用が推奨され、長らく推進されてきた。しかし、モンスターがエンジェルに変わるわけもなく、時折思いついたように牙をむく。当たり前のことである。 しかし、その当たり前のことに周章狼狽し右往左往するモンスターがいる。明らかにメルト・ダウンしていても、メルト・ダウンではないと言い張るモンスターがいる。放射能が充満しているところに、多くの人々を送り込むモンスターがいる。そして、それを遠くからそしらぬ顔を決め込むモンスター。電気料金値上げが嫌でモンスターを飼い続け、そのくせ中国産の野菜を敬遠するモンスターが。                             (文責:国語科 曽

如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし  師主知識の恩徳も骨を砕きても謝すべし

今週の一週一言 11 月18日~11月24日     如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし  師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし 『正像末和讃』 親鸞聖人 ・・・ 1173~1262。 幼少の頃出家し、比叡山延暦寺に学ぶ。29歳の時、山を下り、法然の門弟となる。法然に連座して越後に流され、赦免後は常陸に住み、多くの人々を教化する。晩年は京都に戻り、『教行信証』などの著述に専念した。 【如是我聞】 この和讃を讃歌にしたものを「恩徳讃」といいます。本校でも講堂礼拝や報恩講のときに皆で歌います。この和讃の中で親鸞聖人は、「如来大悲」と「師主知識」という二つの恩徳に対する、自らの姿勢をうたわれています。 「身を粉にしても報ずべし」と「骨を砕きても謝すべし」。どちらも出来ないことです。しかし、出来ないことをあえて「べし」とおっしゃっているということは、その恩徳ということが、いかに深いものであるか、そしてこの身に余るものであるかということを表しておられるのだと思います。 親鸞聖人が「べし」という言葉を使われる時は本当に大事なことをおっしゃられる時です。「べし」とは正式には7~8通りの意味を持つ言葉ですが、聖人が「べし」と使われる時は、「当為」の助動詞で、命令的な意味を持ちます。何々をしなさいと。しかし、聖人は人に命令されているのではなく、本当に大切なことを、もう一度ご自身の上に確認されるために「べし」を使われているのだと思います。親鸞聖人が数ある『和讃』のなかで、「べし」を2回も使われているのはこの一首だけです。それがこの「恩徳讃」です。 報ずべき 身を粉にもせず 親鸞忌 親鸞聖人が「べし」と二度も重ねておっしゃっている「恩徳」に背いてばかりいるこの私というものが、 「恩徳讃」を歌うたびに見えてくるのでしょう。そういう形で親鸞聖人に申し訳ないなと、逆に聖人に出遇っておられる方の句です。                          (文責:宗教・社会科 山田)

大悲無倦常照我身

今週の一週一言 11月11日~11月17日                                     大悲無倦常照我身                       源信・・・942~1017。平安中期の天台僧。若くして比叡山横川に隠棲し、       『往生要集』を著す。親鸞聖人は真宗相承の祖師として、七高僧の一人に       数えた。 【如是我聞】  中国、中唐の詩人 劉禹 ( りゅうう ) 錫 ( しゃく ) に「 聚 ( しゅう ) 蚊 ( ぶん ) 謡 ( よう ) 」という漢詩がある。聚は集まる、謡は歌の形式。つ まり「蚊がたくさん集まってブンブンいっているような歌」が「 聚 ( しゅう ) 蚊 ( ぶん ) 謡 ( よう ) 」だ。一匹いても気になって気になって仕方ないあの蚊がたくさんいるのだからたまったものではない。今なら防虫剤、殺虫剤が威力を発揮するところだろうがその頃はどうしたのだろう。 劉禹 ( りゅうう ) 錫 ( しゃく ) は蚊のことを言ったわけではなくて自分をあれこれ悪く言う人がたくさんいる。自分は悪くないのに、ということを訴えている詩ではあるが。  さて、人から嫌われる虫は時に「害虫」と呼ばれる。人に不快な思いをさせたり、農家さんを困らせたりするから「害虫」と呼ばれるのだが、虫自身は自分が害虫とはだ思っていないだろう。だから蚊は来なくてもいいのに何度でも人から血を吸おうとする。一方ミツバチなどは人に利益をもたらすため「益虫」扱いされることもあるが、これも子どもたちを育てるためせっせと蜜を集めているはずのミツバチからするとたまったものではないかもしれない。つまり「害虫」も「益虫」も人間中心の見方からの呼び名で、どちらも人間にいのちを奪われている。  「一切の生きとし生けるものは幸いであれ」と説く仏教の教えに照らすと人間の虫に対する行いはいかにも罪深い。そんな人間は、いや私は救われるのだろうか。阿弥陀仏の大いなる慈悲の心、大悲は罪深い行為をし、なおかつ救われることに疑問を持ってしまう我が身すら救おうとするという。私はそれをありがたいと感じるよりも慈悲を受けるにふさわしい自分か振り返る方に意識が向いてしまう。 (文責:宗教・国語科 佐々木)

慚愧あるが故に 名づけて人となす。

今週の一週一言 11月5日~11月10日                                     慚愧 ( ざんき ) あるが 故 ( ゆえ ) に 名づけて 人 ( にん ) となす。 涅槃経(趣意)・・・釈尊の最後の旅、入滅、遺骨の分配などの様子を伝える。            東晋の僧、法顕によって『大般涅槃経』として漢訳された。                       【如是我聞】 東京スカイツリーは2011年にギネス認定された世界一高いタワーだ。東京の新名所として多くの人が訪れている。最も高いところで634m。でも私たちが行くことができるのは450mまで。それも床が450mなのか、天井がそうなのか。最近チラッと「東京スカイツリーから見る夜景」を組み込んだツアーの広告を見た。でもせいぜい450メートルでしょ…それほど感動するだろうか。比叡山なら848メートルあるのでこちらのほうが高さはうんと高い。  ならば世界文化遺産に登録された富士山。こちらは高さ3776メートル。ここから見る夜景はきれいなことだろうと思って登った人の話に聞くと、きれいなのは日が出ている間の自然の景色のほうがきれいだと思うよ、とのことであった。なるほど、それはそうかもしれない。朝日が昇ってくるところを多くの人が目指したいと思う気持ちもわかる。  ではずっと高く行って、宇宙から見た地球の夜景はどうか。私たちはそれを映像でしか見られないが、宇宙飛行士ならば自分の目で見ることができる。日本人宇宙飛行士として二度、宇宙に飛び立った毛利衛さんは次のように言っている。「シャトルから見た日本は夜の地球の中でひときわ明るく、列島の形がくっきりと浮かび上がっていた」。このあとに毛利さんはどのような言葉をつなげたと思いますか?「他国のクルーと見ていて恥ずかしかった」。私はこの「恥ずかしい」という気持ちには大事なことが含まれていると思う。明るいのは人間が大量にエネルギー消費をしているためだ。そのエネルギー消費の弊害は既に地球規模の問題なのに、さらに消費規模を拡大しようとし、それをよしとしているのではないか。日本だけじゃない、アメリカだって、中東だってなどと言ってはいけない。それこそ「恥も外聞もない」ことだ。ここで人間が自らを振り返ら

今正しいことも、数年後間違っていることもある。 逆に、今間違っていることも、数年後正しいこともある。

今週の一週一言 9 月30日~10月5日 「今正しいことも、数年後間違っていることもある。 逆に、今間違っていることも、数年後正しいこともある。」 ライト兄弟 兄ウィルバー・ライト、 1867 年生まれ。弟オーヴィル・ライト、 1871 年生まれ。自転車屋をしながら兄弟で飛行機の研究を続け、 1903 年に有人動力飛行に世界で初めて成功した。                       【如是我聞】  「機械が飛ぶことは科学的に不可能」とされていた時代に動力飛行機の開発に取り組んだライト兄弟のことばだけに、真実味がある。  彼らは「機械が飛ぶことは間違っている」という当時の科学者やジャーナリストたちの主張をくつがえし、間違っていると決めつけられていた自分たちの理論の正しさを証明した。出典までは調べていないが、信念を貫くことの大切さをこのことばに込めたのかもしれない。  しかし、ライト兄弟の偉業からこのことばだけをとりはずして味わってみれば、「絶対の真実などない!」というようにも読めるような気がする。「正しさ」とは時代によって、地域によって、人によってうつろいゆくものだ、ということだ。  果たして飛行機の発明は正しかったのか? 飛んだ、という「正しさ」はあったかもしれない。でも、発明後の飛行機が行なってきたことを考えると、利便やロマンの背後に、多くの殺戮や環境破壊がなかったか…、それは「正しい」ことだったか?!  そう考えると、人類の歴史は〈真実追究〉の歩みであると同時に、〈後悔の積み重ね〉によってできていると言えるかもしれない。  いやいや、人類の…なんて大きくでる必要はない。振り返ってみる自分の半生だけでそのことは証明できそうだ。 「今間違っていることも、数年後正しいこともある」と信じて生きるしかない自分がいる。「今正しいことも、数年後間違っていることもある」と迷う自分もいる。私にとっては、「正しさ」とはあやういものだと心に刻みつけるために、このことばが必要なのかもしれない。       文責:社会科      佐藤 博之

人は運命を避けようとしてとった道で しばしば運命にであう

今週の一週一言                                   9 月24日~9月29日   人は運命を避けようとしてとった道で しばしば運命にであう ラ・フォンテーヌ・・1621~1695。フランスの詩人。有名な格言に 「すべての道はローマに通ず」がある。 【如是我聞】 大げさに言うと、私は生まれながらにして、歩むべきレールを敷かれた 運命 ( さだめ ) の元にいのちを与えられた。ずっとそう思 っていた。「おまえは将来、こういう職に就くのだ!」と、親からはもちろん、周囲の誰からも言われ続けた。 私がどういう人間で、どういうことに興味・関心があり、どういうことに 長 ( た ) けているかなど、そんなことを考えても無駄でしかなかった。私の青春時代はそんな閉鎖的な思いに、時に苦しみ、時に絶望を感じながら過ぎて行った。あがきにあがいてたどり着いたのは、何をしても無駄だという「無力感」だった。 高校を卒業した私は家から逃げた。日本にいては逃げきれないと思い、二十歳の時、遠くヨーロッパまで逃避した。しかしそこで、逃げ切ったはずのもの、「宗教」に出会ってしまった。 ヨーロッパ初日、パリの駅で10人ほどの強盗に囲まれた。もう駄目だと思ったその時に全身黒ずくめの男性に救われた。彼は強盗に積極的に話しかけ、私を解放するように説得した。すると信じられないことに、強盗たちは私にうすら笑いを残しては一人また一人と去って行った。2人きりになった駅前の公園で、彼はびっくりするほど素敵な笑顔で、たった一言“ Bon voyage! (いい旅を)”という言葉を残してその場を後にした。 興奮と緊張と意味不明の展開に、私はしばらくベンチから立ち上がることができなかった。やがて電車の時間がきて駅に入って売店でコーヒーを買った。お金を出す手はまだ震えていた。コーヒーを一口飲んだら、今度は全身が震え始め、ついには泣いてしまった。いったい何だったのだ、さっきの出来事は。 夜行列車に乗ってスペインに向かった。眠れぬまま朝を迎え、バルセロナの駅に降り立った時、あまりにも非現実的な一日と、それでもまだ生きているという事実に力なく笑っていた。体は疲れていたが、不思議と心は元気だった。 全身黒ずくめの彼はカトリックの神父さんだった。「宗教に生きるということであの笑顔が得られるのなら、