スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

もし なんと空しい二文字だろう

今週の一週一言                                   2月18日~2月24日 もし なんと空しい二文字だろう シドニィ・シェルダン・・・ 1917 ~ 2007  アメリカの小説家。『ゲームの達人』『真夜中は別の顔』など、全作品の売り上げ総数は3億部をこえる。 【如是我聞】   佐々木先生がパンフレット「涅槃会によせて」の中で、『絵本・地獄』についてふれられていました。よく売れているということなので、私もさっそく本屋でちらりと立ち読みをしました。うそをついたり、悪い言葉を言ったり、親に感謝したりしなければ、地獄で釜ゆでにされたり、火あぶりにされたりするぞと、絵本にしてはかなりインパクトのある内容です。元の「地獄・極楽図」から教育効果に期待ができる部分だけを取り出して使うという、大人のいやらしい一面が見え隠れしています。   お寺では、古くから絵解きと呼ばれる教化方法がとられてきました。掛け軸や屏風絵を使って法話をするというものです。耳で聞くだけよりも、目で見たほうがわかりやすいということでしょう。その代表格が先の「地獄・極楽図」です。他にも、幽霊の掛け軸などもよく絵解きに使われます。 幽霊の特徴は三つあります。一つ目は後ろ髪が長いことです。後ろ髪を引くという言葉がありますが、これは何を表しているかというと、もう何年も前に過ぎ去ったことを、「 もし あの時ああしておけば」「 もし あの時あんなことをしなければ」と後悔することです。どれだけ「 もし 」と言っても無駄なことですが、終わったことをいつまでも気にしているという愚かな面が私たちにはあります。後悔したことのないという人はいないでしょう。  二番目の特徴は、手を前に出しているということです。これも経験がないという人はいないでしょう。これは後悔の反対です。「 もし 失敗したらどうしよう」「 もし ケガをしたらどうしよう」と、来ない先のことをあたかも来たかのごとくに思って心配し、不安でいられないという面を私たちは持っています。これを後悔に対して「取り越し苦労」と言います。残念ながら私たちはどうにもならない事と分かっていながら、こういう不安から離れることができません。 そして三番目の特徴は足が無いことです。「今」を生きていながら、足下が見えないということは、その「今」に足が付いていないという

笑顔こそ最高のデザインだ

今週の一週一言                                   2月4日~2月10日 笑顔こそ最高のデザインだ                水谷 孝次 水谷孝次(1951-)・・・日本のアートディレクター。2005年愛知万博にて「 MERRY EXPO 」を展開。北京五輪開会式のオープニングセレモニーにも芸術顧問として参加。 【如是我聞】  高校時代。「ヘラヘラするな!」と先生に怒られたことがあった。ニコニコしていたつもりがヘラヘラしていると思われていたのだ。笑わなくなってから「意識が変わった」とわたしの評価は上がった。が、得意だった勉強も好きだったスポーツも楽しいものではなくなっていった。挨拶もしなくなった。挨拶しないのが大人だから、まぁこれでいいのだろうと思った。放課後ALT控え室で笑談をしながら、「いつか必ず日本から出よう」と考えるようになっていた。  大学進学後、わたしは「あなたはその明るさがいい、見ていて癒されますよ」と言ってくれる教授に出会った。癒されると言われることで、わたし自身が癒されていくのが分かったし、全てに対するやる気が湧いてきた。わたしの能力ではなく、わたしという人間そのものを見てくれている人がいる。日本を出なくとも、そこには安心できる世界があった。わたしはその教授といる時間が好きだった。 『大無量寿経』に「和顔愛語 先意承問」という言葉がある。和やかな顔で優しい言葉をかけると、自分も相手も幸せになる。つまり、お金や物を持っていなくても、笑顔はお布施となるのだ。社会人になり、仏頂面が増えてきたわたしが大切にしていくべき言葉である。わたしがもらった幸せを他の人に渡していけるよう、いつでも、どこでも、誰にでも、笑顔と思いやりの心を持って接していきたいものである。 (文責:さ)

読むことは考えることであり  知識は忘れたころに知恵となる

今週の一週一言                                   1月28日~2月3日 読むことは考えることであり  知識は忘れたころに知恵となる 松原治・・・ 1917 年生。 2012 年 94 歳没。元紀伊国屋書店名誉会長。東大法学        部卒業後、満州鉄道に入社。戦後、紀伊国屋創業者田辺茂一氏に出        会い、同社に入る。同社のニューヨーク進出などに尽力。 【如是我聞】  本を読むのが好きになったのは、大学を出てからだ。高校時代などは嫌いとまでは行かないが、読書に熱中することなどは決してなかった。  それが今では、読むものを持たずに電車に乗ったりしたものなら、もう大変である。全く落ち着きを失い、座っていることもままならず、吊られている車内広告の文字を追いかけて移動してしまう。そんな活字中毒である。  かなり以前、東京の大学や専門学校で英語を教えている友人たちと、何かのひょうしで「言葉はなんのためにあるのか」という話になったことがある。当時、私は英語教師ではなく、外国人に日本語を教えていた。即座に「コミュニケーションのためだろう」と答えた。友人の一人は「自分の考えや思いを表現するため」と言った。隣にいたのが「表現じゃないよ、整理するためだよ」と言った。最後に残っていたのがこう言った。「思考のためだよ」。そして続けた。「言葉が頭の中に何も浮かばないって想像してごらん。考えるってことそのものができないじゃん」。新鮮な気分になったのを覚えている。  今週の言葉とは、直接関係がないことかもしれない。でも、今週の言葉に出会い、その友人の言葉をほぼ20年ぶりに思い出した。読んではあれこれ考えるのが好きになったのは、その頃からかもしれないことも。  知っているかどうかということは、往々にして、それほどたいしたことではない。せいぜい「よく知ってるなあ~」と言われて、心の中でニヤッとできるくらいの恩恵しか手に入らない。要は、その知っていることをどう活かすかなのだろう。何かを知る前と知った後で、わたしに変化が起こるかどうかなのだろう。  知識が知恵となる。そのことの尊いことはいうまでもない。しかし、仏法はわたしに語りかける。ついたその知恵が、いつしか、あなたを悩ませ、苦しめる因となると。これは「ほこ×たて」なのだろうか。 (文責:い)

目的を見つけよ  手段はついてくる

今週の一週一言                                   1月21日~1月27日 目的を見つけよ  手段はついてくる                 マハトマ・ガンジー Mahatma Gandhi (マハトマ・ガンジー) ・・・1869年―1948年。インド独立の父。「非暴力、不服従」による平和を訴え続けた。政治思想家、人権活動家として、世界中に大きな影響を与えている。 【如是我聞】 手段の目的化に対する警鐘をしばしば耳にする。確かにその通りであり、私自身戒めなければならないことも多い。例えば、クラブ活動の目的を勝つためとすること、勉強の目的を受験に合格するためとすること、働く目的をお金を稼ぐためとすること。このような目的は、おそらく手段の目的化であろう。つまり、目的を達成することが極めて稀であるにもかかわらず、目的を達成した時点で虚無感に襲われることは確実なのだ。では、どのような目的が、「目的」となりうるのか。 マハトマの「目的」はインドの独立であったのだろうか。それとも、そのもっと先にあったのだろうか。どちらにせよ、マハトマのように人生を尽くすべき目的に出会えれば、それこそが人生最大の幸福であろう。しかし、それは容易なことではない。 人生を尽くせるような目的を見つける。それはどだい無理なことではないか。一昔前に流行った“自分探し”と似ている。“自分探し”を公言した著名なサッカー選手は、いつ“自分”を探しあてるのだろうか。ヒトのことはさておいても、もし私が目的を見つけるまでは何もしないとなると、引きこもらざるを得なくなってしまいそうだ。では、どうするのか。 手段の目的化であろうと何であろうとかまわない。まず目前の目的を達成する。それが小さければ小さいほどかえって良い。目前のことに精一杯注力する。その連続によってしか「目的」に出会うことは不可能ではないのか。まずはやってみるしかないのだ。 やってみれば、手段は必ず見つかるはずだ。 (文責:そ)

自己とは何ぞや  これ人世の根本的問題なり

今週の一週一言                                   1月15日~1月20日 自己とは何ぞや  これ人世の根本的問題なり                     清沢満之 清沢満之(きよざわまんし)・・・1863-1903 真宗大谷派僧侶、本校初代校長、 浩々洞を主宰。教団改革運動の中心となる。近代親鸞教学の祖。 著書『宗教哲学骸骨』・『絶対他力の大道』・『我が信念』など多数。 【如是我聞】 「不易流行」という言葉がある。芭蕉の芸術観を表す言葉である。「不易」とは詩の基本である永遠性、「流行」はその時々の新風のことである。しかし、それら二つはともに「風雅」の誠から出るものであるから、根源においては一つである、と芭蕉は言う。  では、詩ではなく我々一人ひとりについてはどうであろうか。  我々にとっての「流行」と言えば、枚挙にいとまがなかろう。時代の潮流、コマーシャリズム、アンチエージングにビックリ健康法、ネットの掲示板やツイッターでのつぶやき、他人のうわさ話からいかがわしいもうけ話。その一つ一つに一喜一憂、振り回されつづけるのが我々の日常ではないか。そして、当の本人には振り回されている自覚は毛頭ない。私は信念を持って盤石の日常を生きている、と勘違いしている。しかし、この“盤石の日常”がはたして我々の「不易」なのであろうか。  清沢の言う「自己」とは、振り回され続ける自己の方であり、振り回されていることにすら無自覚な自己のことである。しかし、「自己」とはそれだけではない。そのような自己でありながらも、その自己を尽くしていきたい、「今」に納得して生きていたいと思い続けている「自己」。それがどんな時も変わらない自己の本当の願いであると言う。「今」とは変わり続け、衰え続ける「今」である。それを受け止め、諦めもせず、気負いもせず生きる。それを実現させるものが阿弥陀の本願、つまり本来の我々自身の願いに目覚めて生きることである。 本来の自己に目覚めたうえで、我々の周りの様々な事柄に応じて、様々なあり方で生きる。それが我々にとっての「不易流行」ということかもしれない。  だからこそ、自己を問い続けることが人間の根本的問題となるのではないか。 (文責:そ)

自分が自分になった背景を知る。 それが恩を知るという意である。

今週の一週一言                                   12月10日~12月26日 自分が自分になった背景を知る。 それが恩を知るという意である。      安田理深 安田理深(やすだりじん)・・・1900-1982 真宗大谷派僧侶、仏教思想家、 私塾「相応学舎」を主宰。 【如是我聞】 “We are what we eat.”(私たちは食べ物で出来ている)先日、ある先生に教わったアメリカのことわざです。  私たちは他のいのちを犠牲にすることなしに生きることはできません。無数のいのちに支えられて生かされています。この事実は「自分が自分になった背景」の重要な要素であるにもかかわらず、私たちの可視範囲、想像の域は決して広くありません。  私たち真宗の家庭では、精進日というものを月のうち数日設けることによって、この背景に思いを寄せようという習慣があります。この精進日には食卓から肉・魚類が姿を消します。私が中高生の食べ盛りの頃はこの日が憂うつでした。母親は野菜を天ぷらにするなど、少しでも食べ盛りの子どもに満足させようと、色々な工夫をしてくれました。祖母の時代は卵もだめだったらしいのですが、私の母親は「あれは温めても雛にはならん」と言って、卵を食べることをOKにしました。でもかまぼこは当然だめですし、うどんの出汁もだめでした。このような習慣は今でも続いていますが、私の妻はこの習慣が新鮮らしく、精進日の献立を楽しんでいるようです。  月のうちにせめて数日でも他のいのちを犠牲にしない。完全には無理であるにしても、そうすることで、無数のいのちにささえられている事実を改めて考えよう。そのような習慣です。  自分の力だけで生きていると錯覚している私たちが、支えられて存在しているいのちという事実に気づけば、何か恩返しをしなければなりません。そのような気持ちにいたることが、恩を知るということかもしれません。  あなたのいのちを「いただきます」。それを私のもとまで届け、調理してくださったものに対して「ご馳走さまでした」。恩を知った者がこの二言を粗末にすることはできないはずです。 (文責:や)

人と生まれた悲しみを知らないものは 人と生まれた喜びを知らない

今週の一週一言                                   12月10日~12月26日 人と生まれた悲しみを知らないものは 人と生まれた喜びを知らない                   金子大栄 金子大栄(かねこだいえい)・・・1881-1976。真宗大谷派僧侶、仏教思想家。 【如是我聞】 わたしはわたしが積み上げた経験や学んできた価値観からできている。毎日せっせと積み上げて、今、どのくらいの高さになっているだろうか。人一倍努力して、いつか「どうだ!高いだろ、凄いだろ!」と自慢したいわたしがいる。  わかっている。こんなに積み上げても実は何のあてにもならないこと。身につけている高価なものも、ただのガラクタであること。わかっているつもりだが、手放すことはできない。わたしは何より守りたい自分からどうしても離れることができないのだ。これが我執というものか。しかし本当の自分に出会うことが怖くて、ずっと自分をごまかしている。  最近寒くなり、温泉に行くことが多くなった。服も化粧も全部取って湯に浸かっていると、「わたしもその他大勢の一人だ。」と感じる。もしかするとこの中に大富豪がいるかもしれないし、大発明家がいるかもしれない。しかしここでは関係ない。みんな同じ。そんなことを考えていると、張り詰めた気持ちが楽になる。比べて生きるのは苦しいだけだ。  近い未来、自力無効を知ったとき、きっと今積み上げているものは何の意味もないことを痛感するのだろう。「念仏は自我崩壊の響きであり、自己誕生の産声である。」という金子先生の言葉のように、わたしは同時にそのまま包まれている自己を見いだすことができるのだろうか。 (文責:さ)

自分は正直なつもりであろうが、実はそんな人間が、一番不正直な人間であろう。

今週の一週一言                                           12 月3日~12月9日  自分は正直なつもりであろうが、  実はそんな人間が、  一番不正直な人間であろう。                         曽我量深 「あの人の言葉は信用できない。」 「あいつは失礼なやつやで。」 「あの人は、困ったらすぐ逃げる。」  こういう言葉が私の口から出るとき、「まあ、私は大丈夫だけどな」、「私は違うけどな」と思っている。どこかで「私は正しい」と思っている。  もし仮に、「私も信用されないようなことをしてしまうことがある」し、「失礼なやつだと思われているかもしれない」し、「またもや、踏ん張れずに逃げてしまった」などという思いが、自分に対してあるならば、露骨な他人に対する批難は、私の口からは出てこないのかもしれない。  でも出てくる。時に堂々と。時にこそっと。「ここだけの話やで~」という枕詞に続いて。  そういうときの自分は、意識としてどこまでも「善人」である。そして近くにいる「悪人」を許せずに批難しているのだ。  ある先生に教わった。「人間は自分が正しいと思ったときに、その人の持つ、最もいやらしい部分が顔を出す」と。  自らの悪人性にうなづくことなく「善人」を目指す生き方には、きっと無理が生じる。校歌に詠われる「よき世の人」に成ろうとする歩みとは異なるはずだ。都合の悪いことすら、切り捨てるのではなく受け入れる。上に立つのではなく共にある。そういう歩みであろう。  「悪人」という自覚がスタートになったとき、そのゴールにあるのは絶望でも失望でもなく希望であろう。 (い)

自信教人信 (自ら信じ人をして信ぜしむ)

今週の一週一言                               11月26日~12月2日 自信教人 ( じしんきょうにん ) 信 ( しん ) (自ら信じ人をして信ぜしむ)                         善導大師 善導・・・ 613年生まれ、681年没。親鸞聖人が師と仰がれた中国の高僧。  【如是我聞】   本校の初代校長清澤満之先生は、大谷大学の前身である真宗大学の初代学長も勤められた。先生は「真宗大学開校の辞」において、この善導大師の語をひいて「我々に於て最大事件なる自己の信念の確立の上に其信仰を他に伝える即ち自信教人信の誠を尽すべき人物を養成するのが本学の特質であります」と述べられた。  本校もまったくこの教えをもとに、開設されたのである。 本校の建学の精神である「樹心」とは、「自らの心を広大な仏の願いの中に置く」ということであり、東本願寺の標語である「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」も同じ趣旨である。  人を教化しようとするとき、まず自分がその生き方を実践し、それが良いものであること実感しておくことが第一だというのである。  この頃のグルメ番組を見ても、材料や彩りの良さは伝えることは出来ても、本当にその食べ物が美味しく安全で、何よりも生きる力になることは、なかなか伝わりにくい。 まず無心に食べて「うまい!」という実感が得られること、それが生きる力になる。          (文責:如)

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も骨を砕きても謝すべし

今週の一週一言                               11月19日~11月25日 如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし                       宗祖親鸞聖人 親鸞・・・ 1173年京都生まれ、1262年没  【如是我聞】   我々にとって最もなじみある法語であり讃歌である。法要の最後を飾り、本山報恩講でも、最終日に高らかに詠いあげられる。しかし、問題はその後である。よかった、よかった、終わった、終わったという訳にはいかない。なぜなら、歌のような気持ちが、悲しいぐらいに湧いてこないからである。湧かないとすれば、身を粉に、骨を砕きなど、絵に描いた餅ならぬ、歌に詠われた単なる美辞であろう。私は、ここ数年いつもそのことが気になり、そして気になりつつそのまま放置していた。  では、宗祖はどうであったのか?報恩感謝の念に満ちあふれて生きられたのか? 恩徳讃に続き、次のような和讃がしたためられている。   仏智の不思議をうたがいて  自力の称念このむゆえ    辺地懈慢にとどまりて   仏恩報ずるこころなし  宗祖も私と同じであった。仏恩を報ずる心はないのだ。 しかし、どこまでもそういう自分自身を厳しく見つめ続けるところが、うやむやに誤魔化し続ける私との決定的な違いである。恩徳讃に続くこの和讃を読み、つくづくそう感じる。                      (文責:そ)