一週一言インデックス

2013年1月20日日曜日

自己とは何ぞや  これ人世の根本的問題なり


今週の一週一言
                                  1月15日~1月20日
自己とは何ぞや  これ人世の根本的問題なり
                   清沢満之
清沢満之(きよざわまんし)・・・1863-1903 真宗大谷派僧侶、本校初代校長、
浩々洞を主宰。教団改革運動の中心となる。近代親鸞教学の祖。
著書『宗教哲学骸骨』・『絶対他力の大道』・『我が信念』など多数。
【如是我聞】

「不易流行」という言葉がある。芭蕉の芸術観を表す言葉である。「不易」とは詩の基本である永遠性、「流行」はその時々の新風のことである。しかし、それら二つはともに「風雅」の誠から出るものであるから、根源においては一つである、と芭蕉は言う。
 では、詩ではなく我々一人ひとりについてはどうであろうか。
 我々にとっての「流行」と言えば、枚挙にいとまがなかろう。時代の潮流、コマーシャリズム、アンチエージングにビックリ健康法、ネットの掲示板やツイッターでのつぶやき、他人のうわさ話からいかがわしいもうけ話。その一つ一つに一喜一憂、振り回されつづけるのが我々の日常ではないか。そして、当の本人には振り回されている自覚は毛頭ない。私は信念を持って盤石の日常を生きている、と勘違いしている。しかし、この“盤石の日常”がはたして我々の「不易」なのであろうか。
 清沢の言う「自己」とは、振り回され続ける自己の方であり、振り回されていることにすら無自覚な自己のことである。しかし、「自己」とはそれだけではない。そのような自己でありながらも、その自己を尽くしていきたい、「今」に納得して生きていたいと思い続けている「自己」。それがどんな時も変わらない自己の本当の願いであると言う。「今」とは変わり続け、衰え続ける「今」である。それを受け止め、諦めもせず、気負いもせず生きる。それを実現させるものが阿弥陀の本願、つまり本来の我々自身の願いに目覚めて生きることである。
本来の自己に目覚めたうえで、我々の周りの様々な事柄に応じて、様々なあり方で生きる。それが我々にとっての「不易流行」ということかもしれない。
 だからこそ、自己を問い続けることが人間の根本的問題となるのではないか。

(文責:そ)

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