今週の一週一言 9 月10日~9月16日 師は、弟子にその準備が整った時にあらわれる チベットの格言 【如是我聞】 チベットは中国の西南に位置する自治区です。南にそびえるヒマラヤ山脈を始め、高大な山々に囲まれた山脈地帯です。 チベット仏教がその地に生きる人々の思想を支えていますが、その教えに基づく格言の多くが日本でも広く知られ、その一つが今週の言葉です。 ここでいう「師」というのは、「私の大事な先生」と考えればいいと思うのですが、職業としての先生とか、立場として先生と呼ばれる人たちとかではなく、「今の私があるのはこの人と出会えたからだ」とか、「この人に出会えたことで私の生きる方向が定まった」とかいう、そういう人のことです。その人との出会いは、私にその準備が整った時に現われるというのです。 準備が整うというのは、どういうことかというと、「今の私の課題・解決したい問題や置かれている状況がはっきりした」ということではないかと思うのです。答えやアドバイスや将来に関わる大事なヒントを与えてくれる人は、すでに私の周りにはいっぱいいるんですね。でも、私の問題・課題がはっきりしていないから、そのアドバイスとか教えというものが響いてこないのです。 だから、ひょっとしたらもうすでに「師」は私の目の前にいて、その人とはしょっちゅう言葉を交わしているのかもしれないのですが、その人が「私の師」であるとは気付いていない、またはそうは思えない私がいるだけなのかもしれないんですね。 そう考えると、「師」つまり「私の大事な人」に会えるかどうかは、私にかかっているんですね。私が、今の私にとって何が必要か、何を求めているのか、それがはっきりしたとき、きっと「あ~この人を求めていたんだ」という出会いが成り立つのかもしれません。 親鸞聖人の「師」は法然上人ですが、決定的な出会いは親鸞さんが29歳の時だと伝えられます。しかし、親鸞さんは、もっと以前から法然さんのことを知っていたし、直接話したこともあったと言われています。「師との出会い」が成立するのに時が必要だったのでしょう。 「この人に会えてよかった」と心から言える人生を歩みたいものです。でも、「その出会いは私
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