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山川、域を異にすれども 風月、天を同じうす 諸の仏子に寄せて 共に来縁を結ばん

今週の一週一言
5月21日~27日
山川、域を異にすれども 風月、天を同じうす
諸の仏子に寄せて 共に来縁を結ばん ※波線部は「風月同天」の読み下し
伝・長屋王(『唐大和上東征伝』)
長屋王…676?~729.天武天皇の孫であり、高市皇子の子。飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。藤原不比等の没後、最高位の左大臣となる。しかし729年、謀反を疑われる。聖武天皇を呪ったとされ、屋敷を包囲され、妻子とともに自害した(長屋王の変)。漢文・詩文を好み、儒学を重んじた。『万葉集』に5首、『懐風藻』に詩3編を残している。


【如是我聞】
 思えば遠くへ来たもんだ、とひとりごちることがある。これは物理的な距離だけではなく、私がここに在るに至るまでの膨大な因果の鎖に思いを馳せるとき、その渾然一体となった諸々の前にただ立ち尽くすしかない、うめきのようなものである。
人の運命とは一体、何であろうか。最近、つくづく考える。10代の頃、私は故郷が好きではなかった。しかしその煩悶が縁となって諸仏諸天を知った。実家はお寺ではないが、仏教系の大学に進学するため徳島県を出たときは、心が躍ったものだった。ところが下宿先では不思議とトラブルに見舞われ幾度も引越し(一度は爆死するところだった)、縁あって大徳寺の寮に入り小僧生活を送った。大学院を出たあと、高野山の行場へ行き、本物の荒行に命の瀬戸際を観た。振り返ると、およそ青春とかキャンパスライフというようなものとは無縁で、血反吐を吐いていた記憶しかない。社会人としては郷里のJA(農協)に勤めた。古来、農業は仏教と縁深いので、運水搬柴(うんすいはんし)の言葉を胸に、大地と対話するべく就職したところ、拝命した業務は管理部とサーバールームと広報マンの兼任であった。しかしいつの間にか、あんなに嫌いだった故郷もそんなに悪くないなと思うようになった。そして今また、新たなご縁をいただいて大谷に奉職している。月並みな言葉だが、本当に人生なにが起きるかわからない。それなりに人生計画は立てていたが、何一つ計画通りにいかず、選択の余地がない状況下で地べたを這いずり回るしかなかった。だがそれがまた良かった。標掲の言葉は、あの鑑真和上が日本へ来ることを決心する契機となった漢詩だと伝えられている。山や河などの国土は違えども、吹く風や天に浮かぶ月は同じである。どんなに距離が離れていても、同じこの世界を生きているのだから―。私自身はここまで達観しきれず、実家の母のことや、残してきた手乗り文鳥のことを思わない日はない。しかし、まあ、もう、どこで何をして生きることになってもいいんじゃないの、という妙な開き直りというか図太さはできてきた。そんな折、ふと恩師の言葉が脳裏をよぎった。「人生においては、しばしば個人(自分)の思惑を超えたところで物事が動いてゆくことがある。昨今、世の中では主体的決断だとか自己責任だとかやかましく言われるが、そういうものを超えた、もっと大きなものが人生を動かすことがあるんだよ。」それを何と呼ぶのかはわからないまま、私は今日も神仏に合掌している。        (文責:宗教科・国語科 阿賀谷) 

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