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きのふの我に飽くべし  芭蕉 

今週の一週一言                                   8月25日~8月31日 きのふの我に飽くべし        芭蕉    『俳諧無門関』蓼太より 松尾芭蕉 ・・・ 1644~1694、 俳人。伊賀上野の生まれ。のち江戸に下り,俳壇内に地盤を形成,深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風を開拓した。「おくのほそ道」の旅の体験から,不易流行の理念を確立し,以後その実践を「細み」に求め,晩年には俳諧本来の庶民性に立ち戻った「軽み」の俳風に達した。 【如是我聞】 「飽く」とは、ある辞書に「いやになって,続ける気がなくなる」と説明されている言葉です。それまでの自分に拘り続け、過去の柵に縛られるような人生を、おそらく芭蕉は認めなかったのでしょう。 人は誰しも現状に甘んじ、ついつい安楽で簡便な方法や生き様を求めてしまいます。誰しも「きのふの我」は、甘く、懐かしいものです。私たちの多くは、この居心地のよい幸せな場所を愛おしいと思い、そこにある自分の生き様に誇りすら持っていることでしょう。それは勿論素晴らしい過去には違いないのですが、あえて過去を「いやになって」あげるもう一人の自分が必要なのですね。勿論、そのためにはかなりの勇気とエネルギーが要るのですが、過去に縋ることで新たな一歩へと踏み出すことが躊躇されるとしたら、それは皆さんにとって本当に勿体無いことです。 多くの場合、過去と戦い、新たな挑戦を日々経験することは、自分の感情や感性、それに肉体までもが更新されてゆく素晴らしい体験をもたらしてくれます。目の前が大きく明るく開け、まるで脱皮したかのように再生した自分を楽しめることでしょう。私自身、何度もそういう経験をしてきました。何かを体得したような幸せな気分で、足どりも軽く街を歩いたことだってあります。 打ち勝つべきものは、周りの何かや誰かではなく、過去に埋もれた、昨日までの退屈な自分なのです。 でも、けっしてあなたの過去を否定するわけではありません。過去の体験は未来の糧であり、それをもとに明日の自分が模索される=「飽く」のであれば、そして、戦うべき敵は何かを知るのであれば、それこそが人としての本来の生き方なのでしょう。 芭蕉は、まさに打ち勝つべき敵は何かを知り、その一生涯を通して劇

想像力は知識よりもっと大切である

今週の一週一言 7月28日~8月24日 想像力は知識よりもっと大切である Imagination is more important than knowledge アルベルト・アインシュタイン ・・・ 1879~1955、ドイツ生まれ。ユダヤ人の理論物理学者。1921年ノーベル物理学賞受賞。相対性理論・光電効果の解明など、輝かしい業績を持ち、20世紀最大の物理学者とも、現代物理学の父とも呼ばれる。 【如是我聞】 同じ読みの「創造力」という言葉がある。昔、中高校生の頃にはこの言葉のほうが大切だと思い込んでいた。「想像する」という行為は、当時の夢見がちな自分への自戒をこめて、行動の伴わない一種の逃避行動であるかのように思っていた。ただぼんやりと考えているだけでは何も始まらないと。この先自分が生きていく世界のありようを理解し、いろんなものを作り上げていくのに必要なのは知識の集積とそれに基づく創造なのだと。 ジョン・レノンの「イマジン (Imagine) 」という歌を初めて聴いた(中3だったか、高1の頃だっただろうか)ときも、理想の世界を想像しようという呼びかけに共感を覚えたが、「想像するだけでは何も変わらないよな」と思っていたし、その中でジョン自身が “You may say I’m a dreamer.”( 君は僕を夢想家だというかもしれない ) と歌っているのを聞いて、「その通り」だと突っ込んでいた。 しかし、いつの頃からか、自分の学びの限界を感じた頃からだろうか、それとも教壇に立たせてもらうようになり、知識をただ詰め込もうとする生徒の姿を目にして、教えるということはただ知識を伝えるだけでは十分ではないと感じ始めた頃からだろうか、実は想像力こそが人や世界を動かす、あるいは必要なときには立ち止まらせる原動力なのではないかと思うようになった。 このアインシュタインの言葉はさらに「知識には限界があるが、想像力は世界を包み込む」 ( ,for knowledge is limited while imagination embraces the entire world.) と続く。知識は有限であり、そこからは当然限られた範囲のものしか生まれてはこない。ところが、想像力はこの世界を包み込むほどに

子供を不幸にする一番確実な方法は何か それをあなた方は知っているだろうか  それはいつでも何でも 手に入れられるようにしてやることだ

今週の一週一言 5 月26日~6月1日   子供を不幸にする一番確実な方法は何か それをあなた方は知っているだろうか   それはいつでも何でも 手に入れられるようにしてやることだ              ジャン=ジャック・ルソー( 1712 ~ 1778 ):ジュネーブ共和国生まれ。哲学者、教育哲学者、作家、作曲家と、フランスにおいて幅広く活躍。『人間不平等起源論』、『社会契約論』、『エミール』など、著書多数。 【如是我聞】  本校では今年、30名近い教育実習生を迎えている。私はその実習を、ここ大谷ではなく京都の某私学の高校でお世話になった。期間中に保護者会があり、実習生も同じ場で校長先生の話を聞いた。およそ覚えているその内容は、  保護者の皆さん、皆さんのお子さんをどうしようもない大人に仕上げたいと思われたら、それは簡単なことです。お子さんが望まれるものを全部与えてあげてください。その子の言うことを全て聞いてあげてください。この3年間で、それは見事などうしようもない大人が簡単に完成します。 といったものだった。聞いた私は一言で言うと「度肝を抜かれた」。  その後、実習生だけを集めた講義で、その校長先生は自分の子どもの話をされた。 そのお子さんは10代のときに、ストレスやら何やらで、肌と呼吸器関係に大きな困難を抱えるようになったそうだ。ところが、その子が高校を出てから、インドに行きたいと言った。心配はもちろんあったが、好きなことをさせてやろうとの思いで許されたという。半年後に手紙と写真が届いた。肌も呼吸も問題が消え、笑顔で野菜を育てている娘さんがそこにいた。  私たちは国を挙げて、住みやすい環境を整え、安心で安全で便利な社会を作ろうとしてきた。また、幸せになるための教育をしているという。本当にそうと言えるのか。教育に携わるものとして深く考えた次第です。  便利になるということは「それまで必要だった手続きが要らなくなること」だと教えられた。だから、便利になることで確実に失うものがあると。  ルソーの言葉は誰に向けて投げかけられたのか。いつの時代を生きる者に対する批判だったのか。深く考える次第です。            (宗教・英語科  乾) トップページ

高原の陸地ろくじには蓮華を生ぜず 卑湿の淤お泥でいにいまし蓮華を生ず

今週の一週一言 3 月17日~3月23日   高原の 陸地 ( ろくじ ) には 蓮華を生ぜず  卑湿の 淤 ( お ) 泥 ( でい ) に いまし蓮華を生ず                       『維摩経』・・・初期大乗経典の代表作の一つ。主人公である在家の維摩詰が大乗思想の核心を説きつつ、出家の仏弟子や菩薩たちを次々と論破していくさまが、文学性豊かに描かれている。 【如是我聞】 蓮の華は 卑湿の淤泥、じめじめとした低湿地の泥中 を住み処とします。泥を離れて蓮の華は咲くことができません。涼やかな高原の陸地では蓮の華は開かないのです。 泥の中においてはじめて華が開く。これは泥、すなわち煩悩の意義を表しているのだと思います。煩悩あればこそ人は真理を求めるということです。いや、むしろ煩悩が真理を求めしめるのかもしれません。種々の煩悩によって私たちは苦しみ、悩みますが、その苦悩が人を求道者たらしめるのであって、泥を切り捨てたら、私たちの煩悩と求道の関係がなくなってしまいます。 『維摩経』は「卑湿の淤泥のなかにあって清らかに咲く蓮華のように、世間のなかでひとり聖人君子として生きよ」と言っているわけではなく、むしろ「蓮の華を咲かせてくれるのは、実は泥なのだ」という事を教えてくれます。泥の中に生えても、泥に染まらないぞというのではなく、泥を自らのいのちとして咲く華だということです。いうなれば泥の尊さを表すのでしょう。また、そのことに気づくのも自分の力ではなく、世俗を這いずり回り、文字どおりたくさんの泥をかぶっていくなかで、「気づかされる」のでしょう。  泥のなかから 蓮が咲く  それをするのは蓮じゃない  卵のなかから 鶏が出る  それをするのは鶏じゃない  それに私は 気がついた。 それも私のせいじゃない                   「蓮と鶏」金子みすゞ (文責:宗教・社会科 山田) トップページへ  http://www.otani.ed.jp

「正義の戦い」なるものは古今東西を通じてない

今週の一週一言 3 月3日~3月9日   「正義の戦い」なるものは古今東西を通じてない                       水野広徳・・・ 1875 ~ 1945  海軍軍人・軍事評論家。日本海海戦を描いた戦記『此一戦』         を発表。退役後、軍縮運動に尽力する。愛媛県出身。 【如是我聞】  戦争を経験した人たちの声が年々私たちの耳に届かなくなってきている。それに呼応するように、耳に心地よく響く言葉が聞かれるようになってきた。「正義のための戦争」というのもそんな言葉の一つではないだろうか。しかし、実際の戦争は、「正義と正義のぶつかり合い」というような抽象的なものではない。人を殺し、町を焼き、土地を奪うという、生身の人間を傷付け、苦しめる、具体的な行為の積み重ねの上に成り立つものであり、そこにいかなる正義も存在しない、と私には思われる。そして、そのことを自身の体験を通じて私たちに伝えてくれる世代の人たちが年々高齢化して、その言葉が聞かれなくなっていく。 昨年亡くなった漫画家のやなせたかし氏もその一人だ。氏は終戦直前の中国での悲惨な戦いを経験し、また、戦争によって大切な身内を失った経験をもとに、「正義のための戦いなんてどこにもないのだ」(『アンパンマンの遺書』)という強い言葉を残したが、それとほぼ同じ言葉を今から90年近く前に書き残した人がいる。水野広徳である。元海軍大佐でありながら、日本が世界から孤立し軍国主義への道を転げ落ちるようにして進んでいく大正から昭和の始めにかけて、おのれの死を賭けて反戦平和を説き続けた軍事ジャーナリストだ。日露戦争の日本海海戦を水雷艇長として戦い功績を挙げたが、第一次世界大戦直後のヨーロッパを視察し、ドイツやフランスの都市の破壊や戦争で傷ついた市民の苦しみを目の当たりにして、それまでの軍国主義者から反戦平和主義者へと大きくその思想を変えた。そして、日米が闘えば必ず日本は敗れると警告し、語る場、書く場が与えられる限り、軍縮と国際協調を訴え続けたのだ。 言論弾圧が激しくなり、執筆者禁止リストに挙げられてその口を封じられた水野は、戦争の終結を待ち望みながら太平洋戦争の敗戦からわずか2ヶ月後にその死を迎えた。「聖戦」に命を捧げることを強いられていた時代に、「『正義の戦

人は、気のきいたことをいおうとすると、なんとなく、うそをつくことがあるものです

今週の一週一言 2 月 3 日~ 2 月 9 日  人は、気のきいたことをいおうとすると、  なんとなく、うそをつくことがあるものです           サン=テグジュペリ(『星の王子さま』より) サン=テグジュペリ( 1900 ~ 1944 ) ・・・ フランスの作家、飛行士。空をとぶことに情熱を燃やし続け、『夜間飛行』などで賞賛を博す。第二次世界大戦でフランスの解放軍に加わるが、飛行中隊長として偵察任務でコルシカ島を飛び立ってのち、行方不明となった。 【如是我聞】 先日、ニュースで流れた NHK 全国短歌大会の話題にふと目がとまった。「君はつね ゴシック体でものを言う 疲れるだろう 明日 ( あした ) は雨だ」。大賞のひとつとなったこの作品は、文章も話し方もつい強調してしまう自分のことを、他人が話しているように表現した、その巧みさが評価されたのだそうだ。人と話しているとき、自分の表面に、いや、言葉の表面に、なにかの膜を張っている気がする。「うそをつく」とまではいわないが、なにかしらを「強調」しているような気がする。この短歌を聴いて、そんな不安を抱えていた時期を思い出した。 話す相手によって、属する集団によって、私は態度を変えている。“私”の形は変わっている。それぞれの相手が、親しい親しくないとはっきり分かれるならいい。しかし、クラブの友人、学科の友人、高校の友人 … 皆、私の中では同じくらいに大好きな人たちで、大切な集団だ。どれかの中にいるのが本物の私なら、それ以外は自分を偽り、演じている?もしかして、仲がいいと思っているのはうわべだけで、心の奥底では相手を信じていない?…というかそもそも、いったいどの集まりで見せている“私”が本当の私なのだろう。自分で自分がよく分からない。 今思えば、私はよくよく暇だったのだろう、とさえ思える悩みである。ちなみにこの悩みを一蹴したのは友人の言葉であった。「歳をとるってことは、たくさんの仮面を持つようになるってこと」。だから、その場の集団によって、仮面をつけかえるのは当然。もちろん、完全に猫をかぶった偽りの自分もあるが、それは別として、ある意味、すべての仮面が素の自分なのだ、と。あれ以来、不思議と気が楽になった。私は“私”をいくつも持っている。短歌で詠

教訓はどこにでも転がっているさ あなたが見つけようとさえすれば

今週の一週一言  1 月 27 日~ 2 月 2 日 教訓はどこにでも転がっているさ あなたが見つけようとさえすれば                        ルイス・キャロル ルイス・キャロル( 1832 ~ 1898 ) ・・・ イギリスの童話作家、数学者。著作『ふしぎの国のアリス』 ( 1865 ) および『鏡の国のアリス』 ( 1872 ) は、いずれも少女アリスの奇想天外な冒険を綴った空想物語で、児童文学の傑作として世界中で愛読されている。 【如是我聞】  最近、偉人の格言や名言をまとめた本が書店で積み上げられているのをよく目にする。“ふーん”と読み流してしまうような訓戒めいたものもあれば、“ハッ”と何かに気付かされるもの、なかには、「落ち込んだときに」などとジャンル分けされているものまである。しかし、この類のものは、なにも現代にかぎり、流行っているわけではない。言葉の力とは不思議なものである。魅力的な言葉は繰り返し唱えられ、保存されていくし、フランスのモラリスト、ラ・ロシュフーコーや、アメリカのジャーナリスト、ビアスのように、みずからの言葉を 箴言 ( しんげん ) や警句として まとめあげ、世に出す場合もある。  しかし、私はふと思う。自分は、すでに誰かに生み出された言葉、そして知識としての教訓に満足してはいないだろうか。本来教訓とは、何かしら、自身の経験から生み出されるものである。他人の心を惹きつけなくともよいし、響きがよい言葉である必要もない。だが私たちは、故事成語にしろ、格言にしろ、便利な言葉を知りすぎている。もちろん、一生かけても自分で気付けないことはたくさんある。そういった部分を他人の教訓で補うのは、視野が広がる良い機会である。とはいえやはり、自身の経験から生み出された教訓ほど、自分にとって強烈なものはないだろう。他人の言葉、使い古された教訓は、なるほど私の場合にもあてはまった、昔の人はまったくいいことを言ったものだ、と感心するだけである。  たいてい人は、大失敗をしてから何かを学ぶ。高校生の頃、英語の予習は余裕をもって準備し、授業に臨んでいた。大学生になると、多忙になり、最後のページまで訳しきれないまま史料講読の授業を迎えた。肝が冷えるほど、冷やひやしながら授業を受けた。でも、

人間の邪悪な心を変えるより  プルトニウムの性質を変えるほうがやさしい

今週の一週一言 12月2日~12月8日     人間の邪悪な心を変えるより  プルトニウムの性質を変えるほうがやさしい アインシュタイン アルベルト・アインシュタイン ・・・ 1879~1955、ドイツ生まれ。 ユダヤ人の理論物理学者。1921年ノーベル物理学賞受賞。相対性理論・光電効果の解明など、輝かしい業績を持ち、 20世紀最大の物理学者とも、現代物理学の父とも呼ばれる。         【如是我聞】 自分の中に邪悪さを見出さない人はいまい。誰しも自分自身の邪悪さに多かれ少なかれ気付き、嘆息する。そして、それが大人になるということかもしれない。 しかし、人間の心とはおそらく、当人が自覚しているものを遙かに超えるほどの邪悪さを時に発揮するのではないか。思いもよらない 邪 ( よこしま ) さが実は「人間の心」のポテンシャルである。つまり、何らかの成り行きや状況、関係性において、突如変わってしまうものが人間の心の本性であるように思う。というか、そうでなければ説明がつかないほど惨たらしい出来事に世の中は満ちている。人間は鬼にもなればホトケにもなるということか・・・。 元素番号94Pu、プルトニウム。この名前の由来はプルート、ギリシャ神話における冥界の王。プルトニウムはもともと自然界に存在していた元素ではない。人間が人工的に作り出した元素である。自然界に存在していたウランを、互いに憎しみ合い争い合い殺し合っていた人間が、お互いを一気に大量に殺す目的で加工し生み出されたモンスターである。 モンスターの平和利用が推奨され、長らく推進されてきた。しかし、モンスターがエンジェルに変わるわけもなく、時折思いついたように牙をむく。当たり前のことである。 しかし、その当たり前のことに周章狼狽し右往左往するモンスターがいる。明らかにメルト・ダウンしていても、メルト・ダウンではないと言い張るモンスターがいる。放射能が充満しているところに、多くの人々を送り込むモンスターがいる。そして、それを遠くからそしらぬ顔を決め込むモンスター。電気料金値上げが嫌でモンスターを飼い続け、そのくせ中国産の野菜を敬遠するモンスターが。                             (文責:国語科 曽

如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし  師主知識の恩徳も骨を砕きても謝すべし

今週の一週一言 11 月18日~11月24日     如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし  師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし 『正像末和讃』 親鸞聖人 ・・・ 1173~1262。 幼少の頃出家し、比叡山延暦寺に学ぶ。29歳の時、山を下り、法然の門弟となる。法然に連座して越後に流され、赦免後は常陸に住み、多くの人々を教化する。晩年は京都に戻り、『教行信証』などの著述に専念した。 【如是我聞】 この和讃を讃歌にしたものを「恩徳讃」といいます。本校でも講堂礼拝や報恩講のときに皆で歌います。この和讃の中で親鸞聖人は、「如来大悲」と「師主知識」という二つの恩徳に対する、自らの姿勢をうたわれています。 「身を粉にしても報ずべし」と「骨を砕きても謝すべし」。どちらも出来ないことです。しかし、出来ないことをあえて「べし」とおっしゃっているということは、その恩徳ということが、いかに深いものであるか、そしてこの身に余るものであるかということを表しておられるのだと思います。 親鸞聖人が「べし」という言葉を使われる時は本当に大事なことをおっしゃられる時です。「べし」とは正式には7~8通りの意味を持つ言葉ですが、聖人が「べし」と使われる時は、「当為」の助動詞で、命令的な意味を持ちます。何々をしなさいと。しかし、聖人は人に命令されているのではなく、本当に大切なことを、もう一度ご自身の上に確認されるために「べし」を使われているのだと思います。親鸞聖人が数ある『和讃』のなかで、「べし」を2回も使われているのはこの一首だけです。それがこの「恩徳讃」です。 報ずべき 身を粉にもせず 親鸞忌 親鸞聖人が「べし」と二度も重ねておっしゃっている「恩徳」に背いてばかりいるこの私というものが、 「恩徳讃」を歌うたびに見えてくるのでしょう。そういう形で親鸞聖人に申し訳ないなと、逆に聖人に出遇っておられる方の句です。                          (文責:宗教・社会科 山田)

大悲無倦常照我身

今週の一週一言 11月11日~11月17日                                     大悲無倦常照我身                       源信・・・942~1017。平安中期の天台僧。若くして比叡山横川に隠棲し、       『往生要集』を著す。親鸞聖人は真宗相承の祖師として、七高僧の一人に       数えた。 【如是我聞】  中国、中唐の詩人 劉禹 ( りゅうう ) 錫 ( しゃく ) に「 聚 ( しゅう ) 蚊 ( ぶん ) 謡 ( よう ) 」という漢詩がある。聚は集まる、謡は歌の形式。つ まり「蚊がたくさん集まってブンブンいっているような歌」が「 聚 ( しゅう ) 蚊 ( ぶん ) 謡 ( よう ) 」だ。一匹いても気になって気になって仕方ないあの蚊がたくさんいるのだからたまったものではない。今なら防虫剤、殺虫剤が威力を発揮するところだろうがその頃はどうしたのだろう。 劉禹 ( りゅうう ) 錫 ( しゃく ) は蚊のことを言ったわけではなくて自分をあれこれ悪く言う人がたくさんいる。自分は悪くないのに、ということを訴えている詩ではあるが。  さて、人から嫌われる虫は時に「害虫」と呼ばれる。人に不快な思いをさせたり、農家さんを困らせたりするから「害虫」と呼ばれるのだが、虫自身は自分が害虫とはだ思っていないだろう。だから蚊は来なくてもいいのに何度でも人から血を吸おうとする。一方ミツバチなどは人に利益をもたらすため「益虫」扱いされることもあるが、これも子どもたちを育てるためせっせと蜜を集めているはずのミツバチからするとたまったものではないかもしれない。つまり「害虫」も「益虫」も人間中心の見方からの呼び名で、どちらも人間にいのちを奪われている。  「一切の生きとし生けるものは幸いであれ」と説く仏教の教えに照らすと人間の虫に対する行いはいかにも罪深い。そんな人間は、いや私は救われるのだろうか。阿弥陀仏の大いなる慈悲の心、大悲は罪深い行為をし、なおかつ救われることに疑問を持ってしまう我が身すら救おうとするという。私はそれをありがたいと感じるよりも慈悲を受けるにふさわしい自分か振り返る方に意識が向いてしまう。 (文責:宗教・国語科 佐々木)