今週の一週一言
4月25日~5月8日
善行の報酬は
善行を行ったことである
ルキウス・アンナエウス・セネカ
現スペイン、コルドバ出身。紀元前1年~65年、ローマ帝国の政治家。皇帝ネロの幼少期の家庭教師。ストア派哲学者としても著名。ラテン文学を代表する詩人でもある。著作は『幸福な人生について』・『寛容について』など多数。
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【如是我聞】
善行とは、善とは何ものであろうか。善きこととは何なのか。
以前、電車で席を譲ろうとして、ひどく相手を不愉快にさせたことがあった。その相手とは、些か恰幅の善い女性であったのだが・・・。
では、電車で席を譲ることは善いことなのか、悪いことなのか?答えが出ない。
恰も予め善いこと悪いことが存在しているかのように思い込んでいたのだが。善悪を決定すること、これを倫理という。道徳とも呼ぶ。試みに倫理を辞書で引いてみる。
倫理・・・①人のふみ行うべき道。②(個人や組織ごとに考えられた)道徳の規準。モラル。
なるほど、いくつもの善悪が同時に存在できるようだ。しかし、これは厄介なことではないか。善と悪のぶつかり合いならまだしも、善と善のぶつかり合いも可能なのだ。
「善悪の字知り顔は 大虚言のかたちなり」とは宗祖の言葉である。あらためて噛み締めた。善悪を問題にしているのではない。善はこれで悪はこれだ、と決定することを問題にしているのである。
「善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり」、これが宗祖の立ち位置であった。
本校には「宗教」という授業がある。道徳とは似て非なるものである。善いことをしよう、悪いことはするな、ではない。では、何をしてもよいのか。そんなことはあるはずがない。ただ、善悪に拘りながら傷つけ合う私たち自身を、真向かいに見つめるということだ。
席を譲るべきか否か、考えているうちに駅に着いてしまった、―そんな時間が週に50分あってよい。いや、あるべきだ。
(国語科・宗教科:曽我)
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