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俺の敵は だいたい俺です(宇宙兄弟「作者:小山宙哉」の主人公のセリフより)

今週の一週一言                                   6 月25日~7月1日   俺の敵は だいたい俺です                      南波 六太  南波 六太 ・・・マンガ『宇宙兄弟』 ( 作者:小山宙哉 ) の主人公。兄弟そろって宇宙飛行士になるという夢を幼少期に誓ったものの、天才的な弟と自分を比べ、自分の能力を信じられずネガティブ思考に陥りがちな青年。この失業という挫折のさなか、幼い頃弟と誓い合った夢を取り戻し、奮闘している。 【如是我聞】 定期的に地球からも肉眼で確認が出来る ISS (国際宇宙ステーション)の光を見る。これは、宇宙兄弟の主人公である兄弟、六太(むった)と日々人(ひびと)が、幼い頃「兄弟そろって月に立つ」という夢を誓い合い、ルーティンにしていたことである。私自身も六太と日々人と同じように、宇宙を夢見て ISS の光を追いかけていた時代があった。そんな私に六太と日々人はたくさんのことを教えてくれる。 幼い頃に持った大きな夢。大きくなるにつれて、いつのまにか薄れてしまい、自分が「現実的だ」と思う夢にシフトチェンジしてしまう。最初は、「趣味でいいや」から始まる。気づけば、幼い頃に得意なことがあったこと自体忘れてしまっている。きっと、中学、高校、大学…年齢を重ねるごとに、自分よりもそれを得意とする人にたくさん出会う中で、私の中にいるネガティブな小人さんたちが体中を駆け巡り、無意識のうちに目を背けてしまったのだろう。 迷ったときはね 「どっちが正しいか」 なんて考えちゃだめよ 「どっちが楽しいか」 で決めなさい 天文学者のシャロンが六太に放ったこの言葉が、将来について考えていた学生の私にヒントをくれた。「何が正解か」を求めて必死に試行錯誤していた自分が恥ずかしくなった。 俺の敵は だいたい俺です 様々な試練を乗り越え、ついに宇宙飛行士候補生となった南波六太 ( なんば むった ) が発した言葉である。六太の訓練教官であるビンセンス・ボールドに「(宇宙を目指す上で)君にとっての敵は誰か」と聞かれ答えた。この言葉の後、六太はこう続ける。 自分の‘宇宙に行きたい’って夢を さんざん邪魔して 足を引っ張り続けたのは

噂とはいいかげんなものだ。たいていの噂の方がよくできている。

今週の一週一言                                   6 月15日~24日 噂とはいいかげんなものだ。たいていの噂の方がよくできている。                       映画『ワイアット・アープ』 『ワイアット・アープ』・・・ローレンス・カスダン監督、制作、脚本による1994年のアメリカ映画。西部開拓時代の保安官であるワイアット・アープをケビン・コスナーが演じている。 【如是我聞】 「噂とは口へんに尊ぶと書くが、あんまり尊ぶようなことは言わんもんや…」  上方落語『つる』の冒頭で、甚兵衛はん ( 「じんべはん」と発音。ご隠居さん的な人物 ) が訪ねてきた男に「 ( 若いものの間で ) アンタの噂が出てましたで」と言われたときに返す一言である。噂というものの本質を射抜いた言葉であろう。  自分の噂が気にならない人はいないと思うが、甚兵衛はんの言うとおり、たいていは「尊ぶ」ようなことは言われていないと考えておいて間違いはない。噂とは「その場にいない人についてあれこれ話すこと」だから、話す人のほうに遠慮はない。当人の前では話せないようなことでも、おかまいなしである。自分が誰かの噂ばなしをしているときを思い起こしても、「あの人は実に立派な人で…」なんてことはまず言っていない。(ちなみに、甚兵衛はんは「盗人かもしれん」と言われている始末である。)  ただ、噂というものはすべて真実が語られているかというと、そんなことはなさそうである。その場限りで無責任に語られることが多いだけに、根拠が薄弱な場合も少なくない。話を面白くするために、いわゆる「盛る」ことが行われることも珍しくなかろう。あまり噂を鵜呑みにするのは考えものである。(かの山本リンダ女史も昔、「噂を信じちゃいけないよ…」と歌っていたではないか!)  これもある落語に出てくるセリフに、「馬には乗ってみい、人には添うてみい」というのがある。人というものは、第一印象だけではわからないものだ。初めは取っつきにくいと思っても、付き合ってみると案外そうではなかったなんてことがよくある…というほどの意味かと思うが、やはりその人の値打ち、真価というのは ( 当然のことながら ) 深く知り合ってみないとわからないということだ

山川、域を異にすれども 風月、天を同じうす 諸の仏子に寄せて 共に来縁を結ばん

今週の一週一言 5月21日~27日 山川、域を異にすれども  風月、天を同じうす 諸の仏子に寄せて 共に来縁を結ばん ※波線部は「風月同天」の読み下し 伝・長屋王(『唐大和上東征伝』) 長屋王…676?~729.天武天皇の孫であり、高市皇子の子。飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。藤原不比等の没後、最高位の左大臣となる。しかし729年、謀反を疑われる。聖武天皇を呪ったとされ、屋敷を包囲され、妻子とともに自害した(長屋王の変)。漢文・詩文を好み、儒学を重んじた。『万葉集』に 5 首、『懐風藻』に詩 3 編を残している。 【如是我聞】  思えば遠くへ来たもんだ、とひとりごちることがある。これは物理的な距離だけではなく、私がここに在るに至るまでの膨大な因果の鎖に思いを馳せるとき、その渾然一体となった諸々の前にただ立ち尽くすしかない、うめきのようなものである。 人の運命とは一体、何であろうか。最近、つくづく考える。10代の頃、私は故郷が好きではなかった。しかしその煩悶が縁となって諸仏諸天を知った。実家はお寺ではないが、仏教系の大学に進学するため徳島県を出たときは、心が躍ったものだった。ところが下宿先では不思議とトラブルに見舞われ幾度も引越し(一度は爆死するところだった)、縁あって大徳寺の寮に入り小僧生活を送った。大学院を出たあと、高野山の行場へ行き、本物の荒行に命の瀬戸際を観た。振り返ると、およそ青春とかキャンパスライフというようなものとは無縁で、血反吐を吐いていた記憶しかない。社会人としては郷里のJA(農協)に勤めた。古来、農業は仏教と縁深いので、運水搬柴(うんすいはんし)の言葉を胸に、大地と対話するべく就職したところ、拝命した業務は管理部とサーバールームと広報マンの兼任であった。しかしいつの間にか、あんなに嫌いだった故郷もそんなに悪くないなと思うようになった。そして今また、新たなご縁をいただいて大谷に奉職している。月並みな言葉だが、本当に人生なにが起きるかわからない。それなりに人生計画は立てていたが、何一つ計画通りにいかず、選択の余地がない状況下で地べたを這いずり回るしかなかった。だがそれがまた良かった。標掲の言葉は、あの鑑真和上が日本へ来ることを決心する契機となった漢詩だと伝えられている。山や河などの国土

真に生きている時間というものは、出会いのある時間なのだ。

今週の一週一言                                   4 月 23 日~ 4 月 29 日   真に生きている時間というものは、  出会いのある時間なのだ。                    マルティン・ブーバー  Martin Buber (1878 ~ 1965) ・・・ユダヤ人の宗教哲学者。もじゃもじゃの髭と、つぶらな瞳がトレードマーク。フランクフルト大学に奉職するも、ナチス政権の成立によって退職。 1938 年、イェルサレムに移住してヘブライ大学の教授となった。主著『我と汝』は宗教哲学のみならず、ひろく人間学に大きな影響を与えている。 【如是我聞】 こないだ、3人の旧友たちと久しぶりに再会した。このようにして集まるのはおそらく5~6年ぶりくらいだろうか。とにかく久しぶりだった。大学院生の頃、ぼくたちはとくに用事がなくても、しょっちゅう会って、ご飯を食べたり、お酒を飲んだりしていた。「いま時間ある?ちょっとコーヒーでも飲みに行こうよ」みたいな気軽さで。実のところ、ぼくは昔も今も、人と会話することはそんなに得意ではない。できれば一人でいたい。しかし、この人たちと一緒にいる時間はとても好きだった。なぜだろう。理由はよく分からないが、それはぼくにとって自明の事実だった。そして、そんな時間がずっと続けばいいのにと思っていた。 懐かしい顔ぶれ、懐かしい呼び名。時が流れて、お互いにその時間の分だけ外見やら生活やら色んなものが変化したはずだ。大学を出てからというものの、それぞれがそれぞれの道を歩んできた。しかし、そのような変化は全く感じさせなかった。あたかも「やあ、昨日ぶりだね」というぐらいの出会いであるかのようだった。これは錯覚なのか、それともなにか時間の魔法だったのだろうか。 明らかに変わったことといえば、子どもが増えたことだった。「フランス産なの、この子は」と旧友の1人が言った。しばらくフランスで暮らしていたときに、現地で出産したらしい。ぼくは彼女がフランスに行っていたことも、出産していたことも全く知らなかった。新しい生命は、身体をせいいっぱいに使って、喫茶店を動きまわっていた。もう1人の旧友も自分の子どもを連れてきていた。そちらは旦那が外に散歩に連れてでかけていった

われはわろき と思うもの、 ひとりとしても、あるべからず

今週の一週一言                                   11 月20日~11月26日 われはわろき と 思うもの、 ひとりとしても、あるべからず 蓮如上人 蓮如上人( 1415-1499 ) 真宗の僧侶。本願寺第八世、中興の祖。衰退にあった本願寺を再興し、現代の本願寺教団(東・西本願寺)の礎を築いた。 【如是我聞】 最初にこの文言を見たとき、恥ずかしながら私は、全く別の意味に取り違えた。 「自己を卑下するものは、ひとりとしても、あってはならない」という意味だと思ったのだ。「誰であろうと、自分に自信をもて。卑屈になるな!」と言っているのだと。 国際社会では損をしがちな『日本人気質』に根付いた、何かあったら「私が悪いんです、すみませんでした」と先に謝罪してしまう、そしてそうすることにより、文化を異にする相手から「謝罪したってことは、アンタが悪いと認めたわけだな!」とさらなる責めを受けがちな。この態度はよろしくないぞと、そうおっしゃるわけなのですね、蓮如上人!いやぁ~全くその通り!!今の日本人にも、ガッツリ言ってやって下さいよ!・・なぁ~んて思ってしまったのだった。  この誤解の原因は、文言のしめくくり『ある+べからず(=推量の助動詞【べし】の未然形+打消しの助動詞【ず】)』の解釈の仕方にあった。現在でも一般的に使われている「あってはならない(禁止)」という意味で私は捉えてしまったのだ。個々に大切な人なのだから「自分のことを『悪い奴』と卑下するのは、およしなさい」なのかと。しかし、とある同僚教員に「それは、真逆の意味!」と笑われてしまい、改めて辞書を引いてみた。すると別の解釈がズラリと並んでおり、蓮如上人は、その最後のほうにある「~なはずがない(当然の否定)」の意味を文言に用いておられたのであった。  そんなわけで、この文言の正しい解釈は、「自分が悪いと思う人は、誰一人として、いるはずがない(=誰もがみんな、『悪い』のは自分ではなく、他者だと思っている)」。というものだ。…実のところ、私は一瞬「そうかぁ?」と思った。日本文化に育つとき、子どもが最初に社会的規範と共に学ぶ言葉は「ありがとう」と「ごめんなさい」。そして何かあったら「まずは自分から先に謝りましょう」と習う。そ

人の間違いや欠点を厳しく見る眼で自分が見えたらいいですね

今週の一週一言                             11月6日~11月12日   人の間違いや欠点を厳しく見る眼で 自分が見えたらいいですね 野田風雪:ドウジ庵主。大谷派寺院の生まれ。詩画に添える。1921(大正10)年、愛知県生まれ。真宗専門学校卒。昭和41年から仏教談話会を主催。朝日カルチャーセンター講師、一日出家の集い講師など幅広く活動。著書『私を生きる』 【如是我聞】 この言葉、胸にグサッと突き刺さる。人が出来ていないこと、間違っていることは厳しく指摘できるのに、いざ自分のこととなると、できない自分、間違ったことをしてしまった自分を受け入れる勇気がなく、わざと目をそらし、ぼやかしていることがよくある。そして特に家族との時間の中では、その傾向が強くなる。ことさら子供に対してとなると、見る眼はさらに厳しさを増し、「自分はちゃんとできているのか?」「自分はそんなに優秀な子どもだったか?」と思いながらも、自分のことは棚に上げ、子どもたちの間違いや私が感じる欠点を毎日、何十回も指摘している。そうして、そんな毎日の中で、絶えず注意をしている自分に嫌気がさし、もっと違う対応ができたのではないかと後悔を繰り返している。情けない限りだ。 ある日の長男との会話である。 長男「かあちゃん、明日●●がいるんやけど、ある?」 私「え~ !!  なんで前日にいうの?そんなん急に言われても、あるわけないやん。なんでもっと早く言わへんの !!  も~ !! 」 長男「ごめん…」 その日の晩、彼が寝た後に、何とか必要なものを用意し、彼のプリント類を整理していると、数日前に渡された保護者宛てのプリントの中に、「○日までに●●を用意しておいてください」と書かれてあるのを発見。そういえば、渡されたときに後で見るわと言って放置していた。私のミスだった。またやってしまった。次の日の朝、長男に「ごめん、前もらったプリントに書いてあったんやな。ちゃんとみんと、めっちゃ怒ってごめんなぁ。」と、素直に謝罪すると、彼は一言「そんな自分責めんでいいでぇ。」あっ、彼のほうが器が大きい。こんなことを毎日のように繰り返している。今日こそは、厳しい眼を自分に向け、温かいまなざしを人に向けたい。 (英語科:芦田) トッ

心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食えどもその味を知らず

今週の一週一言                                   9 月11日~9月17日   心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食えどもその味を知らず  『大学』 『大学』・・・孔子の弟子曾参の作と伝えられる。南宋の朱子(朱熹)が『中庸』 『論語』『孟子』とともに四書と称し、漢代以来の儒学の根本経典である五経よりも高く評価した。 【如是我聞】 蓮如上人が山科で法話をされたあと、大変有り難いお話であったので忘れてはならぬと思った六人が集まり、話し合いを始めました。皆が一生懸命に一言一句、聞き漏らさないように聞いていたにもかかわらず、六人それぞれが違ったように話を聞き、しかもそのうちの四人は上人の法話の趣旨とは違うように聞いていたといいます。六人いれば六通りに人の話を聞いているということです。このように私たちは常に自己中心的で、あらゆる物事を自分の都合の良いようにしか捉えることができません。 それは私たちが自分自身の立場を離れて物事を見ることができず、独断や偏見、思い込みに満ちあふれている存在だからでしょう。そんな私たちに上人は、「私たちはどんな時でも意巧(いぎょう)に聞いてしまう存在であるから、話を聞いた後はさらに寄り合い、よくよく話し合いをするように」と勧められます。意巧とは、意(こころ)巧(たくみ)に、自分の勝手な解釈で聞くということです。 もちろん、ここでいう話し合いとは、決して自己主張をしなさいということではありません。自分が理解したことを主張し、相手を論破することを勧めるものでもありません。自分の独断や偏見を主張し合うだけの話し合いは、人を傷つけるだけでなく、自分自身をも傷つけることにしかならないからです。最近のテレビ番組はこの傾向が強いですね。 上人は、ものを言うことによって、「人に直してもらう」ことを勧められているのです。自分自身が聞いたところを人に話すことによって、自分という枠の中でしか受け取れなかった過ちを直してもらい、不足を補ってもらいなさいとおっしゃるのです。 自分本位な聞き方が生み出す問題は、何も蓮如上人の頃に初めて起こったことではありません。『歎異抄』では自分本位な聞き方が、親鸞聖人の教えを曲げてしまうという、唯円の歎きの言葉が語ら