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こちらから見れば、サイテーな人。 だが、あんなんでも誰かの大切な人

今週の一週一言 11 月 11 日~ 11 月 17 日 こちらから見れば、サイテーな人。 だが、あんなんでも誰かの大切な人 RHYMESTER  『 POP LIFE 』 1989 年結成。 宇多丸(ラッパー)、 Mummy-D (ラッパー/プロデューサー/作編曲家としての名義は Mr. Drunk /またグループのトータルディレクションを担当)、 DJ JIN ( DJ /プロデューサー)からなるヒップホップ・グループ   【如是我聞】 「周りにいる人を大切にしよう」は今まで何度も耳にしてきたし、自分も言ってきた。家族や友人など、自分の大切な人のことを考えると、「傷ついてほしくない」「不当な扱いを受けて欲しくない」「できれば毎日笑顔で過ごして欲しい」と強く願う。そしてどんな人であれ、誰かにとって大切な存在であり、その人もまた願いをかけられているのだと理解できる。誰かに対して「腹立つ!」「嫌い!」と感じても、少し冷静になれば「誰かにとっては大切な人」と感じることができる。 ただ、自分のこととなると、急に話が変わってくる。自信をもって「私は誰かの大切な人です‼」とは言えない。性格なのか、日本の風習の影響かはわからないが、どうしても「私なんて…」と思ってしまう。自信がない。もちろん「いやいや、そんなことないよ!」と誰かが強く否定してくれるのを期待している。むしろ、そう言って欲しいし、認めて欲しい。その言葉がないとつい卑屈になってしまう。振り返ってみると、「周りの人を大切にしよう」とは多く言われてきたものの、「あなたは大切な人」と直接的には言われることは少なかったように思う。初めてホームステイをした際に、ホストファミリーがお互いに“ Love you. ”“ You are special. ”などと毎日のように伝え合っている姿を目にして、カルチャーショックとともに、少しうらやましい気持ちになったのを覚えている。 今になって、誰からも何も言われなくても「私も大切な人‼」と思えるように自分を大切にしたいなぁ、ありのままの自分を受け入れたいなぁと強く感じている。そして、周りにいる人たちにも、「あたなは大切な人」だと伝えていきたい。そして、「誰に何を思われようとも、自分を大切に思ってくれている人がちゃんといて、自分自身は大切な人なんだ!」と胸を張って(もしくは、少し開き直って
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私に感謝することの重要性を 教えてくれたのは誰だろう。

今週の一週一言 10 月 21 日~ 10 月 27 日 私に感謝することの重要性を 教えてくれたのは誰だろう。 今井雅晴『わが心の歎異抄』 今井雅晴( 1942 年~)  歴史学者であり、筑波大学名誉教授。主な著書に、『親鸞と東国門徒』『親鸞と浄土真宗』『親鸞の家族と門弟』『現代語訳 恵信尼からの手紙』等がある。 【如是我聞】 20 年前なら入ると同時にソフトクリームといっていたけれど、最近のお気に入りはチョコレートクリーム。今熊野交差点のところにある甘味処『梅香堂』の話である。  夏になると、かき氷も売りだされるので、毎回チョコレートクリームというわけにはいかない。季節限定のものが出ていて逃すわけにはいかない。わずかな期間のうちに食べなければならない。そう、マストである。  さて、その梅香堂であるが、常連さんはもちろん、一見さんにも出迎えが丁寧。丁寧というよりも尋常じゃないといった方が良いかもしれない。ともかく応対が手厚いのである。その余波はメニューにも現れていて、お客さんの要望を聞いているうちにどんどん増えていった感が強い。とくにホットケーキのトッピングは多く、生クリームだのソフトクリームだの色々とある。組みあわせもあり、生クリームとソフトクリームを乗せたWクリームなどもある。さらにはトッピング名を書くことまでやめてしまった「全部乗せ」なるものまである(ちなみに、全部乗せを提唱した方を私は知っているが、ここでは措いておく)。  そんな梅香堂では、入店すると「いらっしゃいませ」の声にくわえて「ありがとう」と感謝される。もっというと「おおきに、ありがとう、おおきに」と感謝の言葉三連発が一セットになっている。その後も、注文しようと呼んだときも「はあい、おおきに」、届けに来てくれたときも「ごゆっくり、おおきに」、お水をもらうとき、レジに行ったとき、など、事あるごとに感謝される。支払いからお店を出るときに至っては「おおきに、ありがとう」のオンパレード。もちろん、こちらからも「おおきに、ごちそうさまです」なんて答えるから、まあ大変。「おおきにラリー」がつづくつづく。  でも、このラリーはけっして疲れない。むしろ「癒しのラリー」だ。感謝することの重要性を実践的に教えてくれる。 チ

花開くとき蝶来たり、 蝶来たるとき花開く

今週の一週一言 10 月 7 日~ 10 月 13 日   花開くとき蝶来たり、 蝶来たるとき花開く                良寛 良寛 (1758-1831)  曹洞宗の僧侶であり、書家。生涯、寺を構えなかった。歌人としても漢詩人としても有名であるが、特にその書は絶賛されている。 【如是我聞】 「『チュウシする』の『シ』って『山科区』の『区』やんな?」  うちの第三子が漢字検定を受けたときのことだ。三きょうだいがそれぞれの該当する級を受検したあとの帰り道である。「落ちたかもしれない」という微妙な反応の長女、直前の過去問で安全圏を取っていたので、まあ大丈夫だろうという長男。そして我が家のシークレットウェポン、次男の反応はというと 「めっちゃできた」 とご機嫌な様子。  しかし、しばらくすると無言に。検定の振りかえりを頭のなかでやっているらしい。そしておもむろに、ぼそっと呟いたのが冒頭のことばだ。 「『チュウシする』の『シ』って『山科区』の『区』やんな?」  言われた母親の方こそ、頭のなかがクエスチョンマークだらけだ。 「『チュウシする』って?『中止する?』それとも『注視する?』いやいや、しかも『山科区』の『区』やんな?ってどういうこと?「シ」の漢字を聞いているんじゃないの?」 と、自身の息子の発言を何とか理解しようと頭を働かせるも、何のことだか分からない。すると、次男は 「姉みたいなやつ」 と再びぼそっと呟く。「『姉?』うちの長女みたいなってこと?」と謎に謎をかぶせてくる始末。しかし、そこは母親。はっと思いあたる。 「『姉みたいな』っていうのは『市』のことか」と。  結局のところ、次男は 「『中止する』の『止』は『京都市』の『市』やんな?」 と確認したかったらしい(間違えとるがな)。  ……シークレットウェポンは我が家のシークレットとしておいたままの方が良いかもしれない。  良寛和尚のような気持ちにはなかなかなれない私。                            (文責:国語科 小塩)   >>> トップページへ https://www.otani.ed.jp

艱難(かんなん)にあって初めて 親友を知る

一週一言 9 月30日~10月6日  艱難(かんなん)にあって初めて 親友を知る  キケロ キケロ(Marcus Tullius Cicero, 前 106-前 43) 古代ローマの政治家。法廷弁論家としてキャリアをスタートさせ、政界でも活躍したが、一 時期はローマから追放されるという憂き目にあう。ローマに戻ったあとは、「アントニウス弾 劾演説」を発表したため、アントニウスの部下によって殺された。代表作は「国家論」「友情論」など。キケロの文章はラテン語散文の模範とされ、後世へ大きく影響を与えた。 --- 【如是我聞】 少し前の話になるが、結婚式を挙げた。ふだんお世話になっている人から、懐かしい顔ぶれ まで、多くの人に来ていただいた。その中には、ぼくの大学時代の友人たちの姿があった。 ぼくは大学生のとき、サイクリング部に所属していた。理由は何となく、旅に出てみたかった からだ。部室には、さまざまな人たちが出入りをしていた。ほかの学部の人、年齢不詳の先輩、 外国からの留学生など・・・。年齢や性別、イデオロギーなどの「ごった煮」のような空間だった。ふつうに生活していたら、きっと話すこともないだろうし、ましてや友達になんてならないような人たちだ。 そんなぼくたちを結び付けていたのは「旅」だった。ぼくの所属するサイクリング部では、旅に出たくなったら、適当な紙に旅の概要を書いて、部室の壁に掲示することになっていた。その旅に同行したい人は、その紙に名前を書き連ねるという仕組みだ。だから、自分の企画した旅に、誰が来るかは分からない。仲の良い誰かかもしれないし、ほとんど話したことのない後輩かもしれない。そもそも何人来るだろうか?もしかしたら、誰かと2人旅になるかもしれないし、誰も来てくれないかもしれない・・・。 ぼくたちは、これまで様々なかたちの自転車旅に出かけてきた。「奥羽山脈を何度越えられるか?」というテーマで、東北を走りまわったこともある(途中で体調を崩した)。五島列島の教会のステンドグラスの美しさに心打たれ、冬の北海道の吹雪に心折れそうになり、ユーラシア大陸の果ての岬では心躍り・・・。すべての出来事が、ぼくのなかで鮮烈な印象として残っている。 あるとき、このようなことがあった。入部してはじめて参加した夏合宿で、ぼくは北海道を訪 れた。1か月ほど、公園な

たれのともがらも われはわろきとおもうもの ひとりとしても あるべからず

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平和は微笑みから始まる

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自分の生きる人生を愛せ 自分の愛する人生を生きろ

今週の一週一言                                   5 月 27 日~ 6 月 2 日    自分の生きる人生を愛せ 自分の愛する人生を生きろ 原文  Love the life you live.Live the life you love.                         ボブ・マーリー                                    ボブ・マーリー (Bob Marley) ・・・   1945 年~ 1981 年 ( 享年 36 才 )   ジャマイカ出身。シンガーソングライター。 レゲエミュージックの先駆者。洗練された歌声で宗教性・社会性の高い楽曲を発表し、ジャマイカ音楽の世界的認知度を高めた。代表曲「 Could you be loved 」、「 Get up, Stand up 」、「 Is this love 」など多数。また、「 I shot the sheriff 」がエリック・クラプトンにカバーされるなど、多くのミュージシャンにも多大な影響を与えた。没後 40 年を経た現在でも世界的に聞き継がれ、語り継がれる伝説的ミュージシャン。 【如是我聞】 最初は、ホンワカした空気に包まれ、心地よい時間が流れていく。聞き慣れない、それでいて体内最深部まで入り込むリズムの反復、なんとも脳天気なメロディに浮遊感がとまらない。 次に、その気持ちよさをチクチク刺激する歌詞に意識が持って行かれる。「女はみんな泣いてんぞ」「ポリ公にぶっぱなしてやったぜ」「燃やせ パクれ」、ん? ギャップがたまらん。 小さいモニターに映る、逆光の中に動く人影。近くの壁にはでかいポスター。ドレッドに特大のジョイントを咥えた口元。痩けた頬。このいかれポンチ、ぼぶまあれい、というのか。 バンコクの裏路地にある紫煙に煙った小汚いカフェ、そこで僕はボブと出会った。 ボブが生まれたジャマイカは、中南米のご多分に洩れず、欧米に恣に収奪されているカリブの島国だ。父は大会社を経営する 61 才のイギリス人、母は 16 才のジャマイカ人。 6 才で父に引き取られるが、父の友人に預けられ、その後父は二度と姿を見せなかったという。 10